ヘッダー画像

記事執筆者

文亮[ぶんすけ]

Author:文亮[ぶんすけ]
 
ようこそ。
文書き屋日碌
[ふみがきやにちろく]へ
作家もどき? いえ、作家きどりのオッサンです。
もちろん記事はすべて自分で書いています。
 

最新記事

カテゴリ

最新コメント

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

ランキング

[ジャンルランキング]
小説・文学
556位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
46位
アクセスランキングを見る>>

月別アーカイブ

Access(P)

Access(U)

呟いてます

宣伝

ラジコンのことなら


結果にコミット


プリンターのインクなら


パソコンなら
デル株式会社

自動車保険やバイク保険なら
チューリッヒ保険

アフィリエイトするなら
    
            

第1話  バレンタインデー

2017/02/14 Tue 12:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆今朝、自分が普段書き物をする際に使う勉強机の前に行くと、机の上に何やら見かけない箱が置いてあることに気がついた。
 何だろうと思って、それを手に取ってみたが、これが何なのかすぐにわからなかった。箱の表面には何やら英字が記載されていたが、それを読んでもやはりわからない。
 いったいこれは何なのだろうと思って箱全体を見てみると箱の裏側に何やら紙が貼ってあって、そこには「チョコレート」という記述があった。
 どうやらこれは中にチョコレートが入った箱のようだ。
 この箱が何なのかは何とか把握した。
 問題はどうしてこの、中にチョコレートが入っているとおぼしき箱が、いきなり僕の勉強机の上に存在しているかだ。ひょっとして娘が忘れていったのだろうか?
 数分ほど考えてみたが答えは出なかった。しかし、いつものように古いスマホで聴いていたFMラジオの番組パーソナリティのおしゃべりで、やっとわかった。

 今日はバレンタインデーだったのだ。おそらく娘か嫁さんが置いて行ったのだろう。
 LINEで嫁さんと娘に、どっちがくれたのかと訊いたところ、すぐに娘から「可愛い可愛い娘から!」という返事が返ってきた。
 やはりそうか。いわゆる「義理チョコ」というやつだ。おそらく嫁さんもパート帰りの買い物で僕への義理チョコを何かしら買ってくるのだろう。いや、ひょっとしたらバレンタインデーにかこつけて、何かのスィーツを自分達(嫁さんと娘)用に買ってくるかもしれない。もしそうならば願わくば僕の分も買ってきて欲しいものである。
 嫁さんと娘には、娘からもらったチョコレートは夜に皆が揃った時に一緒に食べようとLINEで話した。今のところ何も返事はないが、おそらくそんなことなど当たり前のことなのだろうな。そしてそれとは別にいくつかのスィーツが目の前に現れるであろう。バレンタインデーというものは昔と比べると、ずいぶん自由になったものだと僕は思ってしまうのだけど、嫁さんや娘はそんなに深く考えないみたいね。きっとこのノリで3月半ばのホワイトデーにまで突き進んでいくのだろうな。さてその際は僕は何をお返ししなくてはならないことになるかしら? それを考えると今年は例年に比べてちょっと恐ろしく思えたするのだけど、今年のバレンタインデーがいつもよりちょっと豪勢だったとしても僕が自由に使えるお金は例年と何ら変わりないので、ホワイトデーのお返しもやっぱり例年と変わらないものになるのである。
 仕方がないさ。僕みたいな庶民のオッサンに対してホワイトデーを過度に期待する方が悪い。そう思わないかい?




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第2話 古いカセットテープ(1)

2017/02/15 Wed 12:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆先日、クローゼットの中に入れっぱなしにしていたいくつかの収納ケースを整理していたら、ある収納ケースの中から昔の古いカセットテープが40本ほど出てきた。
 今の若い人たちにとっては「カセットテープ」なんてものは大昔の媒体であって、実際に使ったことがある人なんて本当に少ししかいないだろう。もしかしたら中にはカセットテープそのものを見たことがないという人もいるんじゃなかろうか。
 僕みたいな年代の人間にとってはカセットテープというと、かつてはもう空気に近い存在であったと言っても過言ではないほど、そばにあって当たり前のものだった。しかしパソコンやインターネットが一般家庭に普及して、かつ技術も進歩して、今やカセットテープはもちろんのこと、カセットテープを再生させる機械自体もとんとお目にかからなくなった。
 僕の家にはCDラジカセとカセットテープの再生機能を備えたCDコンポステレオというものが辛うじて残存しているので何とか聴くことができるのだけど、そういうものがまったくないというご家庭も珍しくないようになってしまった。これも世の流れなので仕方がないことなのだけど、自分にとって当たり前に存在していたものが、今や社会や時代の隅に置き去りにされているのだと思うとやはり痛烈な寂しさを感じてしまう。

 話を元に戻そう。

 久々に僕の目の前に姿を現した40本ほどの古いカセットテープは、どれも昔のままで、見たところ何も支障がない状態だった。最後にこれらに触ったのが、おそらく子供が生まれて間もない頃だっただろうから、もう四半世紀近く前のことだ。大抵の場合、それくらいの年月が経ってしまうと経年劣化で何かしらどうにもならないような状態になっているものなのだけど、前述したとおり、この40本ほどの古いカセットテープは当時と何一つ変わらない状態だった。

 僕は、(今もそうだけど)どちらかと言うときちんと整理整頓をする性格だからカセットテープも大抵の場合きちんと整理していた。タイトルはもちろんのこと、誰の何という曲か、そしてもちろん録音した日時も記入していたのだ。だがこの40本ほどの古いカセットテープの中に2本だけ添付の紙に何も記入していないものがあった。
 さて、これはいったい何のテープだったのだろうか?
 つたない記憶を辿ってみるも、まったく思い出せない。メモがされている他のカセットテープに関しては、それがいつ頃何のために録音したものかを比較的しっかりと覚えていたのに、メモのない2本のカセットテープについてはまったく記憶が蘇らない。もしかしたらこれらは僕のものではなくて誰か他の人のものを借りたりして、そのまま返さずに今に至っているのかもしれないと思ったのだが、それよりも嫁さんのものという可能性が高いように思えた。
 もしそうだとすると勝手に聴くというのは少々憚られる。単に昔、好きな曲などを録音したというものであれば大した問題にはならないだろうが、もしそれにとんでもないことでも録音されていたとしたら、たまったものではない。もしかしたら知らなくてもよかった過去を知ってしまうことになりかねないし、そうなると我が家にとって一大事となってしまう。

 しばらく熟考……。
 結果、詳細は割愛するが、それら2本の古いカセットテープが嫁さんのものである可能性はゼロという結論に達した。
 しかし、では何のテープなのか、やはり思い出せない。仕方がないので結局その2本の古いカセットテープを聴いてみることにした。

(次回「第3話 古いカセットテープ(2)」に続く)




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第3話 古いカセットテープ(2)

2017/02/15 Wed 15:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆古いカセットテープ、一本目。

 再生を始めるとスピーカーから突然「1981年……」という声が聞こえた。
 紛れもなく自分の声だ。1981年って、もう35年以上も昔ではないか……。
「俺は昔、こんな若々しい声をしていたのか!」
 突然耳に飛び込んできた懐かしき十代の頃の自分の声は、今の自分に大きな衝動を与えた。
 十代の頃の僕よ、五十代も半ばに入ろうとしている今の僕に、君はいったいこれから何を語るのだ?

 しばらくテープを回していると、やがて十代の僕はギターを弾きながら歌い始めた。曲は吉田拓郎の「準ちゃんの与えた今日の吉田拓郎への多大なる影響」だ。そう言えばあの頃、ボブ・ディランの「ハッティキャロルの寂しい死」という曲のメロディに乗せて吉田拓郎が自分の過去の、とある恋愛経験を歌うこの曲が好きで、自分でもよくこの歌を弾き語りをしていたことを思い出した。
 ということはきっとそうなんだろうなと思ったのだが、予想どおり曲の途中でしょぼいハーモニカの音が聴こえ始めた。

 当時僕はお金が無かったからブルースハープが買えなくて、仕方なく二段ハーモニカを吹いていたのだ。もちろんハーモニカホルダーも買えなかったから針金のハンガーを解体して自分でらしきものを作り、それに二段ハーモニカを固定して首にかけていたのである。幸か不幸か、その姿を映した写真の類はないから今となっては想像するしかないのだけど、おそらくかなり無様な格好だったんじゃないかと思う。

 その一本目の古いカセットテープは両面で60分のテープだったのだけど、他にも色々な歌(もちろん僕自身の弾き語りだ)が録音されていた。小室等の歌、ジョー山中の歌、その他わけのわからない歌など、中には今聴くと恥ずかしてく赤面してしまうようなものも録音されていた。それらは自分で聴くには耐えられるものの、他人、いや身内にさえ決して聴かせたくないものばかりと言っても過言ではなかった。よくもまあこんなくだらないものを必死で録音したものだと我ながら感心した、というか呆れてしまった。
 だがそれ以上に、この古いカセットテープから聴こえてくる若かりし頃の自分の声に、今の自分からはもう完全に消え失せてしまった十代の頃のあの何とも言えない瑞々しさが、本当にやけに眩しくて、その声の響きが耳に、そして頭に響くと何だかもういたたまれなくなってしまった。そして今の自分のこのみすぼらしく老け込んでしまった顔を見るに、マジで泣きたい衝動に駆られてしまった。

(次回「第4話 古いカセットテープ(3)」に続く)




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第4話 古いカセットテープ(3)

2017/02/16 Thu 12:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆もう一本の古いカセットテープ。

 両面で120分のものなのだけど、これも一切メモの類がなく、もちろん記憶から完全に消えているものだ。

 躊躇することなく、そのカセットテープを再生させた。
 始まりはギターを奏でる音からだ。
 このイントロには聞き覚えがあった。サザンオールスターズの「忘れじのレイドバック」だ。そして歌声が聴こえ始めた。紛れもなくこれも若かりし頃の自分の声だ。しかし、これがいつ録音されたものなのかがわからない。
いったいいつだったのだろうかと考えていたら自分以外の声がコーラスとして聴こえ始めた。
 この声は……?

 思い出した。一番最初に勤めていた会社の2年か3年ばかり下の後輩の声だ。どうしてあいつと一緒に歌っているのだろう?

 再生し始めて20分ほど経った頃か、若かりし頃の自分が「今日は1989年……」と喋った。それに呼応するかの如く、今の自分の頭の中に少しずつ当時の記憶が蘇り始めた。
 1989年。あの頃、一時期だったけど、この後輩とよく二人で歌っていたのだ。
 当時は僕も彼も仕事の都合で横浜に住んでいて、彼が僕の部屋に来ては二人でギターを弾きながら、あれやこれやと歌っていたのだけど、このテープに録音されているのは、まさにその始まりの際のものだ。
 確かたまたま彼が僕の部屋にやってきて、置いてあった僕のボロいギターを弾き始めたのだ。そして彼のギターのうまさに僕がびっくりして、「あれを弾いてくれ、これを弾いてくれ」とリクエストしたところ、彼は難なく応えてくれたのだ。そして自然と歌い始めたのだ。
 このテープはその時の様子を録音したものだ。

 そうなのだ。だからギターの音色がいいのだ。さっきまで「僕にしてはうまいギターだなあ」と思っていたが、この時弾いていたのは僕ではなく彼だったのだ。

 それにしても懐かしい。このテープは録音状態が非常に良いからか(たぶんコンデンサーマイクを通して録音したんじゃないかと思うのだが)、コンポステレオできちんと再生させると、スピーカーからはまるでそばで若い二人がセッションをしているように聴こえてくる。そしてそれが二十数年経った今でもクリアなものだから、目をつぶっていると本当にそれが現実であるかのような錯覚に陥るのだ。

 僕は丸々2時間という間、そのカセットテープに録音されているものを聴き続けた。それはまるで、あの日、あの時、あの場所に、今の僕がこっそり潜んで二人の歌を聴いているというような感覚だった。きっとタイムマシンで過去に戻るとか、死ぬ間際に過去の自分の姿を垣間見たりするとかって、こんな感覚なのではなかろうか。
 でも2時間のテープが終わって現実に引き戻された時、僕は思った。

 何て残酷なのだろう。

(次回「第5話 古いカセットテープ(4)」に続く)




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第5話 古いカセットテープ(その4)

2017/02/16 Thu 15:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆1989年。僕はまだ27歳かそこらだった。
 2017年。今の僕は、その倍以上の歳だ。あの頃生まれた人間がちょうど今27歳くらいになるのだ。
 あの頃、自分がこんなふうになるだなんて想像だにしなかった。

 さて、この2本の古いカセットテープ、どうしたものだろう。他人に聴かせるにはあまりに恥ずかしい。正直なところ身内にだって聴かせたくない。もし僕が死んだ後に誰かに聴かれでもしたらと思うと気が気でない。
 となると自分の手で間違いなく処分しておくべきなのだろう。だがそれがまた躊躇してしまうから困りものなのだ。処分するのは簡単だ。テープ自体を引っ張り出して細断してゴミ箱に捨てれば済む。10分やそこらで済む話だ。だけど処分してしまうと、それはすなわち永遠に喪失してしまうということだ。仮にこの先、どうしてももう一度聴きたいと願うことがあっても、それはもう完全に不可能なことになってしまう。
 過去に僕は同じように死んでから人に見られたら恥ずかしいという思いから、当時流行っていた「断捨離」という言葉に乗せられたこともあって、若かりし頃から日記やら雑記の類を書きしたためていた数冊のノートなどを処分してしまったのだけど、それから暫く経ってからそんなことをしてしまったことを猛烈に後悔してしまった。自分は何てアホなことをしてしまったのかと相当落ち込んだ。本当に大切なものは失った時に初めてそうだったのだとわかるというこを身に沁みて知った。その過去の苦い経験を考えると、やはり躊躇してしまうのだ。
 困ったものだ。だが悩んだ末に、これらはまた収納ケースの中に戻しておくことにした。しばらくすれば僕はきっとまたこれらの古いカセットテープの存在を忘れてしまうだろう。そしてこれらの古い古いカセットテープは収納ケースの中で眠り続けるのだ。それでいいではないか。


 ちなみにこの度、カセットテープというものの保存力の高さに改めて感心した。40本のカセットテープの中には、僕が中学生だった頃のものもあったのだけど、当時録音していたものが40年以上経った今でもきちんと再生されるのだ。
 あの頃磁気テープは湿気のない所にきちんと保存しておかなければ10年くらいでダメになると聞かされていたように記憶しているが、どのテープもまったくと言っていいほど問題ない。プラスチックの収納ケースに無造作に入れ、それをクローゼットの中に押し込んでいただけなのにだ。このまま収納ケースに入れていたら、ひょっとしたらあと50年は大丈夫なのではないかと思うくらいだ。はっきり言って今のDVDなんかよりも長く保存できるんじゃなかろうか。

 というのも先日、数年前に焼いたDVDをPCで見ようとしたところ、エラーとなってしまい、中身どころかドライブとしても認識されなかった。念のために他のPCのドライブや外付けのDVDドライブでも試してみたが、結果は同じだった。

 聞くところによると現代においても重要なデータは磁気テープで保存されているそうだ。それを聞いて僕は「やっぱりな」と思った。

 このご時世、「残すならDVDじゃないの?」って皆さん思うだろう。コマーシャルでもDVDだときれいに残すことができるとか、永遠に残るとでも聞こえるような、そんなものをよく見聞きしたのではないかと思う。
 だが実際のところ、今でも本当にきちんと残さねばならないとしているものについては、そのデータを磁気ファイルに残しているそうだ。理由はDVDという記録媒体で何十年も保存することができたという実績がないかららしい。
 考えてみればDVDというようなものが世の中に普及してまだ十数年。つまりどんなに長くてもDVDでの保存実績は、その程度ということで、そんなものに貴重なデータの保存を任せられないということなのだろう。

 何だか笑える話ではないか?

 世の中には必死こいて昔の写真やら映像などをデータ化してDVDに焼き、「これで末長く保存し続けることができる」って安心した人がわんさといると思うけど、DVDやCDを盲信してはいけない。特に「50枚入り、1280円」といったような安物のDVD-RやCD-Rなんかはそうだ。単に置いていただけでも数年で経年劣化してまったく読めなくなってしまいかねない。
 脅かすつもりはないけれど、ずっと残しておきたいからと思って焼いたそのDVDは、もしかしたら10年も経たないうちにダメになってしまうかも知れないから、どうかご注意を。

 ちなみに僕は磁気テープであれDVDやCDであれ実際に保存できる期間なんてたかが知れていると思っている。もちろんHDDやUSBなどの媒体も同じだ。どんなに文明や技術が発達しても、結局のところ紙や木簡、石といったレガシーな材質のものには勝てないと思うし、何百年、年千年後にも残っているのは、やっぱりそれらなんじゃないかなって思う。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
    

励みの素

励みになりますので、よろしければポチッと押してやってくださいませ。
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村


エッセイ・随筆 ブログランキングへ



リンク

広告その1

レンタルサーバー

広告その2

FC2 CNT