ヘッダー画像

記事執筆者

文亮[ぶんすけ]

Author:文亮[ぶんすけ]
 
ようこそ。
文書き屋日碌
[ふみがきやにちろく]へ
作家もどき? いえ、作家きどりのオッサンです。
もちろん記事はすべて自分で書いています。
 

最新記事

カテゴリ

最新コメント

カレンダー

02 | 2017/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

ランキング

[ジャンルランキング]
小説・文学
556位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
46位
アクセスランキングを見る>>

月別アーカイブ

Access(P)

Access(U)

呟いてます

宣伝

ラジコンのことなら


結果にコミット


プリンターのインクなら


パソコンなら
デル株式会社

自動車保険やバイク保険なら
チューリッヒ保険

アフィリエイトするなら
    
            

第14話 イメージを疑う

2017/03/01 Wed 07:15
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆先日、NASA(米航空宇宙局)が地球によく似た太陽系外惑星7つを39光年先の宇宙で発見したというニュースを読んだ。いや、最初は朝のテレビ番組でそれを知り、その後新聞の朝刊で読んだので「観聞きした」と言った方が正確か。
 いや、そんなことはどうでもいいから話を戻そう。

 地球によく似た太陽系外惑星が7つ見つかった……。単純に考えるとこれはすごいことだ。これまで(天文系に疎かったせいもあるが)僕はそんなものが本当に存在するのかどうか全然知らなかった。漠然と、こんなにだだっ広い宇宙で、しかも文字通り「星の数ほど」の星が存在しているのだろうから、その中には地球に似た惑星の一つや二つは存在していても不思議はないし、宇宙人だって存在していて当たり前で、むしろいないと証明する方が無理があると素人ながらに思っていたのだけど、今回の発見で、そういったことがある程度現実味を帯びてきたと言ってもいいんじゃないかと思えた。(もちろんずぶの素人の考えだけど……)

「地球によく似た太陽系外惑星」とは、いったいどんな惑星なのだろう。自分が地球という惑星に住んでいることと、他の惑星が実際にどんな環境なのかよく知らないので、どうしても地球の漠然としたその姿を元にした想像しか僕にはできない。しかしNASAをはじめとする宇宙に関する事業に携わっている組織や機関は、たいていの場合、想像図やイメージを示してくれる。
 今回もいくつかの想像図が提示されていた。ここではその画像は載せないが、各種ニュースサイトにはそれが掲載されている。
 例えばNASA・カリフォルニア工科大が提供している「恒星と7つの惑星の想像図」や「地表に海が存在する惑星の想像図」だ。それらを観ると、それなりにそれっぽいのだけど、見方を変えるとハリウッドで作られた多数の宇宙を舞台にした映画の一場面のように見えないでもない。と言うか映画の方がこういった想像図を元にしてイメージを膨らませているんだろうけど……。

 僕はいつもこういう想像図を見ると思ってしまう。言っては悪いと思うけどやっぱり思ってしまう。

「宇宙って、ほんまにこんなんなのか?」

 いくら現代の科学が発達していて、かつてないほど高性能の望遠鏡で観測したとしても39光年先のその惑星の風景を直接見ることはできない。すなわち誰一人としてその本物の光景を見たことがない。だから想像図だ。また今回に限らず今までNASAだとかが何かしらの発見をした際に発表する画像系の資料は、たいていの場合イメージや想像図だ。望遠鏡が直接撮影したという画像ではなくて観測したデータを元に生成された画像であり、それは前述したイメージや想像図の類だ。天文関係で何かしらの発見があった時に僕たちが目にするのは、そういった画像なのだ。

 こういった画像が発表されるたびに、それを見て僕は必ず自分に言い聞かす。
「これって本物の宇宙を撮影したものじゃないんだ」

 よくよく考えると気が付くのだけど、普段僕たちがテレビやインターネットで観る宇宙の姿って、そのほとんどがCG(コンピュータグラフィックス)で作成されたものだ。特に映画なんてCG度100%に近いだろう。つまり僕たちはそういったCGで作られた偽物の宇宙の姿を普段ずっと見せられ続けていて、そこにある姿が宇宙なのだと刷り込まれているような気がするのだ。
 もちろん研究機関の関係者たちは僕たちに、よりわかりやすい形で発見を認識させるがために、あのような想像図を提示しているのだと思うのだけど、僕にはどうもそれが勝手に独り歩きしているか、もしくは裏に何かがあるような気がしてならない。

 例えばあれを想像図ではなく実際の風景だと勘違いする人だっているだろうし、想像図だとはわかっているが無意識に「宇宙というものはああいうものだ」と思い込んでいる人がかなりの数に上っているんじゃないだろうか。そうだとすると、ああいった想像図を前面に出してしまうと逆に本当の宇宙の姿を世間一般から遠ざけてしまうことになってはいないだろうか。

 このことは大衆のイメージ操作にも繋がりかねないと僕は個人的に思っている。
 例えば、実は宇宙はあんな想像図で示されているようなものではなくて、何か世間一般にはとても公表できないような事象で形成されているから……とか。
 実は地球を含めた周辺惑星には既に宇宙人の類が大挙してやってきていて、軍事的にも政治的にもそのままの様相は公表できないから……とか。
 はたまた変に世間にありのままを公表したら、実はアポロはやっぱり月には行っていなかったってことがバレてしまうから……等々。

 だから世間にはひたすらあのような絵画のような想像図といった特定の種類のイメージを見させているんじゃなかろうか?

「何をバカなこと書いているんだ」と思われた方がいるだろう。それはおそらく結構な数に上ると思う。たいていの場合、前述したようなことを言うと世間一般からは排斥されるか、もしくはバラエティ番組の戯言と同類のように扱われて一笑されてしまう。良識ある人はそんな子供じみたバカげた話になんて耳を傾けないって簡単に片付けられる。
 でも、ちょっとでいいから疑ってみないか?

 この時期、寒さの故空気が澄んでいて夜空に輝く星がよく見える。都市部に住んでいたらおそらく無理だろうけど、そこからちょっと離れれば少しは見えるだろう。できれば田舎に行って満天に輝く無数の星々を見てみよう。それが本物の宇宙だ。決して想像図なんかではない。僕らが肉眼で見ることができる正真正銘偽りのない本物の宇宙なのだ。その「本物の宇宙」を見て、ちょっとだけ疑ってみないかい? 「ほんまにあんな光景なんか?」ってな具合にね。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第15話 ワードプレス化(1)

2017/03/02 Thu 07:30
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆ブログをワードプレス化することを検討している。
 その対象となるのは、どのブログかと言うと、もちろんこのブログだ。

 実はつい最近まで別のブログを運営していた。かれこれ5年以上運営し続け、記事数は1000ほどにまで増えた。何か専門のテーマに関して書いていたというわけではなく、ただただ思うがままに書きたいことを書いていた。1記事当たりの文字数は軽く3000文字は超えていたから、結構なボリュームになっていた。もちろん文字数が多いからと言って必ずしも内容が濃かったわけではなくて、時にウダウダと書き連ねてしまったというものも多くあった。
 そんな5年以上運営していたブログであったが諸事情により、きっぱりと閉鎖した。別に変な理由によるものではない。元々別の目的で立ち上げたブログであって、その目的を達成したがために本来であればその時点で終わらすべきであったのを、ズルズルと続けていたら5年経ってしまっていたのだ。
 せっかくだからそのまま続けるという選択もあったのだけど、ブログそのものが当初の意図からかなり脱線したものになり、更には使っていたペンネームも、それが自分の本来のアイデンティティを精神的な側面から浸食し始めているように感じ(つまりペンネームに蓄積されてしまったイメージを本来の自分の中で保持し続けることに疲れてしまったように感じ)、このままでは自分が現状に埋没してしまって、これ以上先に進めない(もしくは更なる高みに登っていけない)ような気がしたので心機一転新しいものを構築しようということで、そのブログを閉鎖し、更に一からこのブログ「文書き屋日碌(ふみがきやにちろく)」を新たに開設したのである。(当初は「作家もどき日碌」というブログタイトルとしていたが、「作家もどき」という文言をペンネームとして使用されている方が既にネット上に存在していて混同されてしまいそうに思えたため、ブログタイトルを「文書き屋日碌」とした。)
 ペンネームも以前のペンネームは使わず(現在のところ暫定ではあるが)、新たなペンネームにて記事を書くことにした。
 もちろん以前のブログはきっぱり閉鎖したので、このブログに引越したというような告知はしていない。今回使っているペンネームも以前使っていたペンネームとは似ても似つかないから全くの別物となった。ある意味これで以前からの固定化してしまったイメージから脱却が図れて新しい世界を構築できるかもしれないと思っている。
 そこで色々と熟考しているうちに、ブログをワードプレス化した方がいいのかも知れないと考え始めたのである。

 このブログは無料ブログサービスを使っている。以前のブログもそうだったし、他のいくつか作っては消えた過去のブログたちもそうだった。お金をかけてブログを作ろうという気持ちなんて更々なかった。無料ブログサービスの類を利用すれば、個人でお金を出してドメインを取ったりサーバーを借りたりする必要がない。記事を追加したりアフィリエイトバナーを掲載するなどの操作も簡単にできる。だから別に無料ブログサービスでかまわないと思っていた。
 しかし無料ブログサービスだと、アクセス数が期待するほど上がらない。もちろんそれはコンテンツという中身の内容に大きく左右されるものなのだが、やはり独自ドメインを使っているわけではないこともあって、SEOという点ではどうしても非力と言わざるを得ない。
 その点、ワードプレスは使うに当たっては自分でサーバーをレンタルして用意し、更には独自ドメインも取得した上で使うことが前提となっているから、それだけでもSEOでは無料ブログサービスに比べて断然有利だと言われている。
 更に自分でお金を出してサーバーや独自ドメインを用立てているので、例えばアフィリエイトバナーに代表される広告などを好きなだけ掲載することができるなど、運営するサイトは(凝ったものを作るのであればHTMLや、CSS,PHP等に関する知識がある程度必要にはなるものの)基本的には自分の思い通りに作ることができる。
 そして、そういったお金はかかるものの十分な費用対効果を見込むことができるゆえ、個人のブログであっても是非ともワードプレス化した方がいいとネットでは声高に叫ばれている。だから僕も少々検討している。

 しかし本当にワードプレス化した方がいいのだろうか?

(次回「第16話 ワードプレス化(2)」に続く)





にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ



このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第16話 ワードプレス化(2)

2017/03/02 Thu 19:30
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆ネットで色々検索していると確かにどこもかしこもたいていの場合、ワードプレス化した方がいいと書いている。もちろんいくつかのサイトでは初心者がいきなりワードプレスを使うことは避け、まずは無料ブログサービスの類である程度慣れてからにした方がいいとしているが、たいていのサイトではやはりワードプレス化を奨励しているように見える。
 そしてその傍らには必ずと言っていいほど、レンタルサーバー業者やドメイン取得業者の広告がいくつも貼られていて、文面は、やたらそれらの利用を進める内容となっている。あのサイトもこのサイトも、色々な側面からそれぞれの考えで切り込んで書いているから内容がそれぞれバラエティではあるが、結局ポイントごとに話をまとめてみると、どこも同じようなことを書いている。「まとめ」系のサイトなんて、その最たる例と言っていい。

 直接的な書き方はされていないものの、とどのつまりは以下のようなことだ。

・ワードプレスで作った方が絶対にいいよ!
・無料ブログサービスと同じくらい簡単にブログサイトが作れるよ!
・慣れれば自分の好きなデザインのサイトが作れるよ!
・SEOで絶対有利だよ!
・月額1000円くらいかかるけど、アドセンスやアフィリエイトの広告を載せたら、すぐに元は取り返せるよ!
・お勧めはこのレンタルサーバー(バナー広告)だよ!
・独自ドメインを取るならここ(バナー広告)が便利だよ!


 本当にそうなのだろうか? 僕は甚だ疑問に思う。
 いくらワードプレスで作っても、レンタルサーバーと独自ドメインで運営していても、その中身(コンテンツ)が貧弱だったり受け入れられないものだったりしたらダメなのではなかろうか? 
「まとめ」系のサイト記事を筆頭に、そういったことにはほとんど触れずに、やたらこうしろああしろと書いて、その横にバナー広告を貼っているページの何と多いこと……。
 そういうページを見ると、記事で煽るだけ煽って読者をその気にさせ、バナー広告をクリックさせて(バナー広告表示報酬に加えて更に)クリック報酬を得て、業者のサイトに誘導してるだけではないのかと勘ぐってしまう。
 こういったことは別にワードプレスに関するページに限った話ではない。何にしろどんな商品にしろサービスにしろ、WEBページ記事の基本は「キャッチ」だ。だからネガティブな内容はほとんどない。デメリットがあっても、それを上回るメリットを挙げて、その存在を薄れさせ、更にやたらとポジティブな文章で読み手の気持ちを高揚させる。そして広告をクリックさせる……。
 広告を掲載することは別に悪いわけではない。このブログにだって、いくつかのバナー広告を貼っている。広告を掲載すること自体は正常な商行為だ。しかしだからと言って前述したようなキャッチな記事は何だかセコイような気がして僕はあまり好きにはなれず、特に最近は検索エンジンで検索すると上位に表示されるページの内容が、そんな記事ばかりでウンザリしてしまうのだけど、そう感じてしまうのは僕だけなのだろうか。

 そんなこんなでブログのワードプレス化に関しては答えが出ていない。レンタルサーバーやドメイン取得にお金がかからないのだったら、すぐにでも試してみようかと思うのだけど、それだと「無料」ってことで結局は無料ブログサービスと似たようなものか……。答えが出るにはまだもう少し時間がかかりそうだ。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第17話 お雛様

2017/03/03 Fri 12:00
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆今日は耳の日、いやいや、それでは野暮だし趣がない。きちんと書こう。
 今日3月3日は桃の節句、つまり「ひな祭り」だ。中年男がよくそんなことを意識していたものだと思われそうだが、僕が覚えていたわけではない。
 覚えていたのは嫁さんだ。数日前から自宅の居間にある木製のキャビネットの棚には手のひら大ほどの大きさのお内裏様とお雛様が飾られているのだけど、それらは毎年嫁さんが忘れることなく飾っている。
 お雛様を飾ること、それは僕たちに娘がいるということが大きな理由なのだけれど、やはり嫁さん自身も女性だからなのだろう。男である僕が5月5日の端午の節句をほとんど気にせず、単に柏餅を食べることが恒例である日というような意識でいるのとは大きく違うように思える。女性というのは、いくつになっても桃の節句はある程度特別な日と無意識に思うものであるように見えるのだけど、男であり、かつ不精な僕には、その辺りの実際の感覚は、とんと見当がつかない。

 雛人形。実は僕んちにはもう少しきちんとした雛人形がある。それはたいそうご立派なものではないし世間でよく見かける五段飾りとか七段飾りのものでもない。リーズナブルな三段飾りのお雛様だ。
 これは僕や親たちがケチったわけではない。僕はさておき親たちは、やはりそれなりのものを与えようとしてくれて、娘の初節句の際にそういう話があったのだけれど、その頃は僕たちはマンション住まいで、ただでさえ狭いところに五段飾りや七段飾りのお雛様なんてものを飾れるわけがなかった。もちろんそういうものを保管しておく場所もなかった。だからコンパクトなお雛様でいいと思ったのだけれど、実際にコンパクトな雛人形を見ると、それはそれでやはり何か物足りないというか頼りなく見えた。おそらく一生ものになるだろうし、安い買い物ではないから買った後で後悔したくないとも思った。
 そんなこんなで落ち着いたのが三段飾りの雛人形だったわけである。
 一段目がお内裏様とお雛様。二段目が三人官女、そして三段目がいくつかのお道具類だ。
「三段」と聞くと五段や七段に比べて少し物足りないような気がしないでもないだろう。確かに店の中だと周りにある五段飾りや七段飾りの雛人形に比べて小さく見える。ものによっては貧弱だとさえ思ってしまう。
 しかしそれは違う。その考えは落とし穴だ。五段や七段がある中に置かれているから小さく見えるだけ。はっきり言ってマジックだ。実際に自宅で飾ってみた際は、その予想外のでかさに驚いた。しかもこれまた予想外に場所を取ったりもしたから尚更だ。そして「三段で十分だった」と自分たちの選択の正しさを再認識したのである。
 もちろん、自宅がそこそこ大きな一軒家で雛人形を飾るのに十分なスペースが用意できるのであれば五段飾りや七段飾りで問題ないのだろうが、例えば一般的なマンションで飾るとなると五段飾りや七段飾りは難しい。下手をすると寝るスペースを雛人形に占領されて、自分たちはソファで窮屈な思いをして寝なければならないということになりかねない。
 実際のところ僕の場合、三段飾りであってもそれを飾ることで部屋一つが実質的に使えなくなった。元から箪笥や本棚を置いていた団地サイズの6畳間に更にお雛様を飾ったから、もう足場もないくらいという状態になったのだ。これが五段飾りや七段飾りだったら、いったいどうなっていただろう。思い返すにたいていの場合、十日か一週間くらい前から飾りだし、3月3日が過ぎるまでの間、その状態で暮らしていたのだ。五段飾りや七段飾りなんて想像するだけでウンザリものだ。

 あの頃は、マンションじゃなくて一軒家だったら気兼ねなく飾ることができるのに、と思っていた。でも不思議なものだ。現在の家(小さいながらも一軒家)に引越してからは結局今に至るまで一度もその三段飾りの雛人形を飾っておらず、それは10年以上、ずっと押し入れの中で眠り続けている。娘が大きくなるにつれ、雛人形というもののイベント性が薄れてしまったことと、飾ったり片付けたりすることに対応する労力や気力がなくってきたことが、その大きな原因だ。そして代わりに飾っているのが数年前に嫁さんが誰かからもらってきた前述の手のひら大ほどの大きさのお内裏様とお雛様の二体の人形なのである。
 ちなみにこれなら狭いマンションでも問題なく飾ることができただろう。だが現実はこの一軒家で飾られている。三段飾りのお雛様を差し置いて飾られている。
「これでは逆だよ」と毎年思うのだけど、そのあとすぐに「かと言って三段飾りのお雛様を引っ張り出してくるのは、やっぱりキツイ」という結論に達し、結局のところ家の広さは何も関係なくて単に出し入れが面倒臭いだけなのだと我ながら呆れてしまう次第。きっとこの先ずっとこうなのだろう。

 でも待てよ、可能性がないわけではない。この先10年くらいの間にチャンスが訪れるかも知れない。チャンスというのは娘が結婚して女の子を生んだ場合のことだ。その時はきっと相応の雛人形が欲せられる雰囲気が到来するに違いない。その日、その時こそあの三段飾りのお雛様は押し入れの中から解き放たれるのではないだろうか?。

 でも本当にそんな日が来るかな? 結婚したとしても男の子しか生まれない可能性もある。そうなったらもうあの三段飾りのお雛様は日の目を見ることはないのかしら?

 おっとその前にカビとかはえていないかしら? 本当にもうう10年以上箱から出していないんだもの。まずはそれが問題か。だが怖くて僕には箱を開けられそうにない。ここはやはり嫁さんに頼むしかあるまい。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
            

第18話 ロス

2017/03/06 Mon 07:15
category - エッセイ
コメント - 0
                         
このエントリーをはてなブックマークに追加
◆先日のこと。テレビの情報系番組で「ホマキロス」という文言が出てきた。

「ホマキロス……、何じゃそれ?」

 僕には全然わからなかった。と言うのも新聞を読みながら、とりあえずテレビの電源を入れていた状態であったから、その番組が何のことを取り上げているのかがわかっていなくて、言わば頭の中にそれに関することが何もない状態で「ホマキロス」という文言だけが目に飛び込んできたものだから、頭の中がそれに対するクエスチョンで占められてしまったのだ。
 その文言を見て頭にまず浮かんだのは「アルキメデス」と「オクタヴィアヌス」の二つ。つまり「ホマキロス」は古代ローマ時代の歴史上の人物の名前の類かと思ったのだ。
 しかしそのような名前を聞いたことがない。
 詳しいわけではないが、僕は大学受験で世界史を選択していたものだから、今でもその方面の記憶は若干残っている。そのつたない記憶を辿っても「ホマキロス」という名前が出てこない。
 これは、もしかしたらもう少しディープな類の人物名かも知れないと思い、「古代ローマ時代の有名人の名前」という切り口での思考はやめ、他の可能性を探った。

「可能性が高いのは新手のバンドの名前か?」

 ご多分に漏れず、僕ももう最近のミュージックシーンにとんと疎くなってしまった。10年くらい前までなら、まだ何とかなっていたのだけれど、数年前からはもう全然ついていけなくなってしまった。特に若手のバンドになると、もうお手上げに近い。映画「気の名は。」の主題歌を唄っているバンド名が未だに覚えられないし、某携帯電話キャリア会社のCMに出てくるバンド名も覚えていない。曲自体も聴けば「ああ、あれね」と思うが曲名はわからない、と言うか覚えられない……。
 そんな有名な映画やCMなどでの露出度の高いバンドに対する認識度がそのレベルなので、そうでないバンドに至っては、もう「誰、この人たち?」の世界であって、それはもうAKB48やSKE48、乃木坂46(?)、ももいろクローバーZなどの違いがまったくわからないというのと同じだと言っていい。だから「ホマキロス」がその類である可能性が高いと思ったのだ。

 そこで娘に訊いてみた。

「ホマキロスっちゅうんは新手のバンドなんか?」
「えっ、何て?」
「だから『ホマキロス』。」
「ホマキロス? そんなバンド、聞いたことないけど……」
「さっきテレビでデカデカと出てたんや。『ホマキロス』って!」
「いやいや、聞いたことないってホンマに」
「ほなら何なん? 『ホマキロス』って」
「そんなん、あたし知らんし!」

 そこに嫁さんが割って入ってきた。

「それ、『ホマキ』の『ロス』やろ!」
「何や、『ホマキ』の『ロス』って?」
「だから『ホマキ』の『ロス』やって!」
「そやから『ホマキ』の『ロス』って何やねんって訊いてんねん!」
「『ホマキ』は『堀北真希』のことで、『ロス」は『ロス』。『ペットロス』とかの『ロス』や。それで『ホマキロス』! 『ロ』にアクセント置くんよ!」
「『ホマキロス』(『キ』にアクセント)?」
「違う。『ホマキロス』(『ロ』にアクセント)!」
「『堀北真希』のことを『ホマキ』っちゅうんか?」
「そうよ。そんなんも知らんのかいな」
「知らんし……」

 それからすぐにネットで「ホマキロス」を検索した。
 そうか、女優の堀北真希さんがいきなり仕事を辞めてしまい、その喪失感を総じて「ホマキロス」と言っているのか。
 ややこしいったらありゃしない……。


 ちなみに先日、ムッシュかまやつさんがお亡くなりになられた。こっちの方が僕にとってはロスだ。大きな大きなロスである。(ふざけるつもりは毛頭ないが)「ムッシュロス」と言っていい。ご冥福を祈りたい。





にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

エッセイ・随筆 ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加
                                 
                                      
    

励みの素

励みになりますので、よろしければポチッと押してやってくださいませ。
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村


エッセイ・随筆 ブログランキングへ



リンク

広告その1

レンタルサーバー

広告その2

FC2 CNT