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文亮[ぶんすけ]

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2017年4月1日(土) 雑記 

2017/04/01 Sat 10:32
category - 雑記
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◆今更ながらにFACEBOOKの利用を検討。いや正確に書くと、もう登録したので、どこまで深く立ち入るかを検討中。
 そもそもは以前、FACEBOOKを大いに利用しているという学生時代の友人から「お前も登録しろよ」と言われていたのだけれど、その時はネットに本名をあからさまにすることに抵抗があったので見送った。しかし、先日ある考え(そんな大したものではない)が頭を過り、今回は自分でもびっくりするくらい抵抗なく(自ら進んで)登録した。この辺りに関することは別途また近日中にエッセイなりコラムなりで公開するつもりでいる。

◆いつものエッセイは、土日なので例によってお休み(の予定)です。来週の月曜日をお楽しみに。




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2017年4月2日(日) 雑記 

2017/04/02 Sun 13:09
category - 雑記
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Twitterで呟いたが、今日の夕食は猪肉を使った料理だ。楽しみだ。

 一般的には猪肉というと「牡丹鍋」を連想される方が多いと思うが、僕んちでは猪肉は「牡丹鍋」ではなく、「すき焼き」でいただく。その方が断然美味い! 昔は必ず「牡丹鍋」で食していたのだけれど、ある時、たまには「すき焼き」でもいいかもと思い、試してみたところ、その美味さは「牡丹鍋」を凌駕した。それ以来、猪肉と言えば「すき焼き」なのだ。

 数年ぶりの猪肉。さっき昼食を食べたばかりだが、今から夕食が楽しみだ。しかし、ただでさえ最近太り気味なのに、また太ってしまうかも知れない。




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第39話 小さな恋のメロディ(Melody)

2017/04/03 Mon 07:10
category - エッセイ
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◆またまた古い映画を観てしまった。どういうわけか最近は古い映画、そう昔観た懐かしい映画を数十年ぶりに観るという機会が多い。まるで走馬灯のようだ。この巡り合わせは僕に自分の命があと残りわずかだということを示唆しているのだろうか?

「小さな恋のメロディ」。これはマーク・レスター、トレイシー・ハイド、そしてジャック・ワイルドが出演した、少年少女の恋を瑞々しく描いた映画で、1971年に日本で公開された。
 当時僕は確か小学三年生か四年生で、この映画のことをまったく知らなかったのだけれど、二つ上の姉が、これを観たくて観たくてたまらなかったらしく、親に懇願した結果、とある日曜日に父親に連れられて姉弟の三人で、当時の住まいから少し離れた所にあった名画座の類の映画館に行くことになった。そういう映画だから普通は母親が同行するものなのだろうが、母親はその日はパートであったため仕方なく父親が連れて行ってくれたのだと思う。それに僕も父親も同時上映していた何かの西部劇映画の方に興味があったから「小さな恋のメロディ」などまったくと言っていいほど眼中になかった。(昔は街の小さな映画館では、たいてい映画が二本立て、もしくは三本立てで上映されていた。しかも入れ替えもなかったから一回料金を払ってしまえば映画館から出ない限り何度でも観ることができた。)
 興味があった西部劇映画がどんなものであったか、今となってはまったく覚えていない。と言うのも、まずは途中で思いがけず大画面に外人女性の裸体とベッドシーンの映像が登場したからだ。その映像があの頃の僕には非常に刺激的であったのだろう(当時は今のような年齢規制なんてものはまったくなかったから、そんなシーンがある映画でも子供が入場していようがいまいが平気で上映されていたのだ)、それまでのストーリーなんか吹っ飛んでしまったし、その後の肝心の撃ち合いのシーンなんかも頭に入ってこなかった。あの外人さんの豊満なオッパイで頭の中がいっぱいになってしまったのだ。(だから今でもその西部劇で覚えているのはそのシーンくらいである。)
 しかし、そんな外人さんの豊満なオッパイの映像さえも僕の頭の中から吹き飛ばしたのが、その後に上映された「小さな恋のメロディ」という映画だった。

 前述したとおり、僕はこの映画のことをまったく知らなかったし、姉が騒いでいたから、どうせ女子向けのアイドルが出て来るようなチャラチャラした映画なんだろうと思い込んでいた。だからあまり観たくなかったし、できればもう帰りたかったのだけれど、姉にとってはこれがメインだったから、そういうわけには行くはずがなく、だからと言って僕一人が席から離れる訳にもいかなかった。今ならたいていの場合、席は指定されているし立ち見もよほどのことがなければ発生しないと思うが、当時の名画座の類というものは席は早い者勝ちだし立ち見も当たり前。この時も満席でかつ周りには溢れんばかりの立ち見客がいた。それゆえ油断したらすぐに席を横取りされたりしたので気安く席を立つわけにはいかなかったのである。

 父を見ると既に腕組みをして目を閉じていて、僕らに「今から居眠りする」ということを示唆していた。
 姉はもう期待に胸がパンパンに膨らんでいるようで、「小さな恋のメロディ」の上映が始まるのを今か今かと待ちわびていた。
 僕は諦めて半ば仕方なく「小さな恋のメロディ」を観ることにした。
 だが映画が始まるや否や、僕の目はすぐにこの映画に釘付けになった。「小さな恋のメロディ」という映画は女子向けのアイドルが出て来てチャラチャラしたことをして騒ぐというような低俗な映画ではなかった。こんなオッサンが今口にすると恥ずかしい限りだけれど、それはそれはもう絶えず胸がキュンキュンする映画だったのである。
 主人公であるダニエル(マーク・レスター)やメロディ(トレイシー・ハイド)が11歳という、当時の自分と近い年齢であったことや、その頃ほのかに自分の中に芽生えていたクラスメートへの淡い恋心が映像の所々で重なったりしたことが更に僕をこの映画にのめり込ませた。映画の中のダニエルは僕そのもの。そしてメロディは、憧れのクラスメートそのものだった。

 劇中の音楽もすごくいい。
 最初に流れる「イン・ザ・モーニング」、そしてメロディの姿をさりげなく映した場面で流れる「メロディ・フェア」。これらは大人になって久しい今聴いても本当に素晴らしいと思える歌で、いずれもビー・ジーズというグループの作品だ。
 更には「若葉の頃」。これもビー・ジーズの作品だ。
 そしてラストシーンで流れる「ティーチ・ユア・チルドレン」という歌。僕は長い間これもビー・ジーズの歌だと思っていて、以前必死で探したのだけれど見つからなかったということがあった。今回、これはビー・ジーズではなくて、クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤングというグループが歌っているのだということがわかった。ハッピーだ。これもすごくいい歌なのだ。
 ラストシーンは追いかけてくる大人たちを振り切ったダニエルとメロディの二人が、廃線の古びたトロッコに乗ってはるか彼方へと駆け出していく。その様は徐々にズームアウトされ、やがて空から田園風景をも含めたロンドンの景色を映し出す。

 何もかもが眩しい。久しぶりにこの映画を観て当時胸に抱いた切ない気持ちが少し蘇った。
 ああ、そうだった。思い出した。あのメロディ演ずるトレイシー・ハイドの姿が、あの頃本当に眩しく見えたのだ。それが今ほんの少しでも蘇ったから、僕はすごく嬉しかった。
 もう二度とあんな感覚は味わえまいと思っていたが、人間ってやっぱりどこかに残しているのだな。でも歳を取るにつれ、いつの間にかそれにたくさんの蓋がされてしまって、その存在すら忘れてしまうんだろう。だからたまにはこういう映画も観るべきなのだろう。
 たまには蓋を開いて素直な自分の気持ちに対峙し、本来持っているはずのピュアな感覚を蘇らせることも大事ではないか!
「いい歳をしたオッサンが気持ち悪い」と言われそうだ。でも僕は、いくつになっても切ないものは切ないと感じ続けていたい。皆そう思わないかい?

 トロッコに乗って線路のはるか彼方へと駆け出したあの二人は、それからどうなったのだろう。
 現実的に考えるとすぐに答えは出る。だけどそんなことを書くのは野暮の極みだ。確かにあのままでは済まされないだろう。それはあの物語の中でもそうだと思う。でもそれを乗り越えて、やがて本当に結ばれて欲しい。そして、その後もずっとずっと二人ともハッピーに過ごし続ける物語であって欲しい。


■ちなみに……
(1)姉は当時、親に内緒で後日友達と一緒に再び映画館に行ってこの映画を何度も観たようだ。そしてそれがどういう経緯かわからないが親にバレてしまい、子供だけで勝手に映画館に行ったことをこっぴどく怒られていた。僕はあの映画を何度も観た姉を羨ましく思ったものだった。

(2)「その頃ほのかに自分の中に芽生えていたクラスメートへの淡い恋心……」と先に書いたが、当時僕はあるクラスメートのことが好きだった。確か生まれて2回目の恋だったと思う。その子とはどういうわけか席が隣同士になることが多く、今でも信じられないのだけれど何故かすごく仲が良かった。トレイシー・ハイドには似ていなかったものの雰囲気はまさにメロディそのもので、すらっとした体形の、おさげが似合う、笑顔がとてもかわいい女の子だった。
 ある日、どういう経緯だったか今となってはとんと覚えていないのだけれど、その子が面と向かって僕に言ったのだ。
「あたし、ぶんすけくんのこと好きやわぁ。だってやさしいし」
 これが僕が生まれて初めて女子から好きだと言われた瞬間だった。
 その子の顔にはちょっとテレが入っていたのだけれど、その表情は目を瞑れば今でもその記憶が蘇るほどに清々しいものだった。
「何言うてんねん」
 うぶでバカな僕は、その子にそっけなくそう言い返した。いきなりそんなことを言われて心臓がドキドキしたのと、嬉しさと恥ずかしさ、そしてテレが入ってしまったから、そうとしか答えられなかったのだ。
 今から思えば子供だったといえども何て失礼なことをしたのかと思う。本当はあの時「僕もXX子ちゃんのことが好きや」と言いたかった。僕がもう少し大人だったら素直にそう言えたかもしれないし、そうしたらきっとその後の二人の関係も違っただろう。
 その当時、10歳くらいだろうか。女の子、とりわけあの子はもう、きっと大人への入り口にさしかかっていたのだろう。でもあの頃の僕はまだまだどうしようもなく子供だったのだ。

 それから僕らは疎遠になったりはしなかったけど、かと言って更に親密になったわけでもなかった。ただの仲の良いクラスメートとして過ごした。でもその学年の終わりに僕が転校してしまったものだから、それ以降二度とその子と会うことはなかった。
 今あの子はどうしているのだろう。「もし」、「たら」、「れば」の話になってしまうが、あのまま僕があの学校に残っていたら、あの子とどうにかなっていたのだろうか。

(3)映画館でこの映画を観てから数年後、世の中にディスコブームが沸き上がって、その中でもビー・ジーズの歌は出す曲がいずれも大ヒットし、世の中はそれらに大フィーバーしたのだけれど、それから少しして僕は、この映画の中で流れていたあのいくつもの名曲を歌っていたのが、何とも言えぬ「男の裏声」で「ナイトフィーバー!」だの「スティンアラアイブ!」などと叫んでいるこのグループだったのだと知って大そう驚いてしまった。
 何が彼らを「男の裏声」へと進ませたのだろうか?

(4)年齢を問わず、僕はこの「小さな恋のメロディ」という映画を推薦します。

(5)この映画を観たせいだろう、猛烈に「フレンズ~ポールとミシェル」(Friends)という映画をもう一度観たくなった。これも大昔、確か僕が中学生だった頃に観たきりだ。確かアニセー・アルビナという女優さんが出ていた。そうだ、その続編もあったはずだ。この次レンタル屋に行ったら探してみよう。




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第40話 WINDOWS UPDATE

2017/04/04 Tue 07:10
category - エッセイ
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◆いつの頃からだろう、記憶が飛んでしまっているのだけれど、このところWINDOWS UPDATEがやたらと時間がかかるようになった。たぶんWINDOWS10にしてから顕著になったような気がするのだが、そうなると昨年の4月か5月辺りにWINDOWS10にアップグレードしたから、1年くらい前からということになるのだろう。
 とにかくやたら時間がかかる。おまけに数日のスパンで更新モジュールとやらが配布されてくるから、毎日PCを動かしていると、だいたい三日に一回はWINDOWS UPDATEが動いているように思える。どうしてこんなに更新モジュールの配布が度々行われるのだろう。
 基本的な理由はわかっている。これでもIT業界に長く関わって来たから、どうしてこんなに更新が必要かは重々わかっている。だがそれでもこんなに多いのはちょっとお粗末というか最初に手を抜き過ぎなのではないかと思ってしまう。
 仮に手を抜いているのではなく、昨今のネット事情では、このように頻繁に更新しなければ脆弱な部分をカバーしきれないというのなら、僕はそれこそ、そもそもの仕組みや存在そのものを今一度抜本的に考え直すべきではないのかと思うのだ。今のネットは、はっきり言ってウィルス系がウジャウジャ存在していて、一歩間違えれば誰しもがその被害者になる。
 そもそもウィルスが存在するのはなぜだろう? 
 答えは実は非常に簡単だ。
 世の中に出回っているPCに問題があるからだ。言い換えればPCにいくつもの欠陥があるからだ。問題や欠陥があるから、そこを悪用とする輩たち等によってウィルス等が作られるのだ。でも問題や欠陥は素人には全くわからないものだし、僕みたいにIT業界にいる人間にだってわからない。実際の開発者、もしくは本当にコンピューターに長けた人だとか世の中のプログラムに精通している人とかでなければわからない。
 じゃあどうしてそんな欠陥のあるPCが世の中に出回るのか?
 昔の単純なコンピューターならともかく、今のコンピューターや、その中で動いているOS(オペレーティングシステム)などのプログラムがあまりに大きく、かつ複雑になり過ぎてしまって、作った人間でも、それらがすべて正常かつ安全に動くかどうかを検証しきれなくなってしまったからだ。もちろんすべてを検証することは不可能ではない。しかしそれをするにはあまりに膨大な時間と費用がかかってしまう。そんなことをしていたら他社との販売競争に勝つどころか出遅れてしまう。だからある一定の水準までは正確に動くことを検証して世の中にリリースする。そしてその後問題や不具合といった「欠陥」(もちろんメーカーはやすやすと「欠陥」とは言わない)が発生すると調査しつつ修正を加え、それを更新モジュールとして世界中のユーザーにネットを通して適応、すなわちWINDOWS UPDATEを行わせて補修させていく。このしくみがあるからこそ欠陥が潜在していてもコンピューターは世の中に流通しているのだ。
 これは何もWINDOWSだからというわけではない。MACだってそうだ。もっと言えば普段よく使っているスマートフォンだってそうだ。(iphoneであれAndroid系のスマートフォンであれ、それらは電話機能付きのコンピューターなのだ。)もちろんipadに代表されるタブレットだってそうだ。使われているOSやプログラムは違えどもコンピューター、特にネットに繋がってナンボというコンピューターである以上、どれでも同じことが言える。デスクトップPCであれ、ノートパソコンであれ、スマホやタブレットであれ、結局はコンピューターであり、かつ潜在的欠陥を内包しているものなのだ。
 ただ残念ながら世の中はコンピューターに残っているそういった脆弱性を「欠陥」とは呼ばないから質が悪い。あくまでも「脆弱性」というような言葉ですり替えてしまっている。どうしてそんなふうに誤魔化すのかと言うと答えは単純だ。「欠陥だ」なんて言ってしまったら誰も買わなくなるからだ。売れず、利用されなくなってしまうと、それまでの投資を回収できなくなってしまう。詐欺といった犯罪が山ほど発生して毎日数え切れないほどの被害者を生み出しているインターネットが、それでも存在し続けているのもそれがためだ。おまけにインターネットを使わなければ何もできないような社会にしようともしているから世の中はますます脆弱性だらけになる。本当は欠陥だらけの社会になっているのに、それが当たり前になってしまっている。そして更に質が悪いことに自分が被害者になってもそれが欠陥によるものなのだと気づかないことだ。たいていの場合「自己責任」という押付で誤魔化されてしまっている。

 PCなどに見られる「モノは必ずしも完璧に動作するわけではない」というような風潮はいつからこんなに当たり前になってしまったのだろう。不思議に思うのは当たり前になってしまったのが世論によってなされたことではないということ。僕の感覚だと、いつの間にか誰かによってそうされてしまったような気がしてならない。

 いつからこんなふうになったのだろう。世の中のことに関しては、僕にはよくわからないが、PCやインターネットに関することなら少しはわかる。
 少なくともインターネットが今みたいに普及する前までは、ここまで酷くはなかったと思える。コンピューターに限らず、モノはきちんと動くのが当たり前だったと思うし、欠陥は欠陥であって、それを認めて是正し更には同じような失敗は起こさないということが正しい考え方だった。WINDOWS UPDATEや各種プログラムの更新だって年に一、二回程度で、その説明には「問題」とか「不具合」とか「不良」、そして「修正」と言った文言が正直に書かれていて、「脆弱性」等、欠陥を欠陥でないとするような免罪符的誤魔化し言葉の類なんてなかったように記憶している。またプログラムの更新にかかる時間も今とは比べ物にならないくらい短かった。その頃はPCもネットも黎明期の頃であったから今と比べることなんて確かにナンセンスなことなのかも知れない。だが「欠陥」は、やっぱり「欠陥」というべきではなかろうか。そして欠陥ありきの考え方も、やっぱり是正すべきではないだろうか。
 こういうことを考えだしたらきりがないのだけれど、そもそもPCやネット、スマホにタブレット等の類は本当に必要なものなのだろうか? それらがなかったら生きていけないのだろうか?
 そんなものがない時代を生きてきた僕には、やっぱりそんなものは必ずしも「なければならないもの」とは思えない。それらがなくても生きていける。しかし世の中は嫌でもそれらを使わねば生きていけない社会にしようと躍起だ。それらを使ってお金を回している者たちにとっては死活問題なのだ。だから欠陥があろうがなかろうが、必要であろうがなかろうが、とにかく動かし続ける。動かし続けざるを得ないようにする。そして何としてでも金を回させて利益を得る。
 やっぱり僕らはそんな輩たちに踊らされ続けているんじゃなかろうか。

 とりとめのないことをダラダラと書いた。そうしていれば、そのうちWINDOWS UPDATEが終わるだろうと思った。だがこれを書き終えた今になっても、やっぱりまだ終わらない。困ったものだ。




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第41話 ナイシトール、内脂肪取る?

2017/04/05 Wed 07:10
category - エッセイ
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◆僕は昔からあまり太るタイプではない。だから今までほとんど「ダイエット」というものを意識したことがなかった。どちらかと言うと食べても食べても太らず、それでも何とか筋肉などをつけるために食べようと思って毎日三食きちんと食べるというようなことを続けると、決まって無茶をした分のしっぺ返しのように胃腸を壊して激しい下痢に苦しむ結果になってしまうタイプだ。
 結婚した頃もそうだった。痩せている僕に対して嫁さんは健康のためにも少しくらいは太らそうと思ったらしく、夕食はもちろんのこと、結婚するまで朝と言えば一杯のカフェオレだけで済ませていた僕に、しっかりとした朝食を毎日用意してくれた。そして僕もせっかく嫁さんが作ってくれたのだからと、せっせとそれを食べる毎日を送った。その結果、確かに体重は増えた。周りから「幸せ太り」というような冷やかしも受けた。
 しかし、残念ながらある時それは終焉を迎えた。僕が胃腸を壊したのだ。
 元々僕は胃腸がそんなに強くなく、負荷がかかるとすぐにお腹の具合が悪くなる体質だった。その時も結局原因はわからなかったが急性胃腸炎と診断され、医者からは「必ずしも毎日三度三度きちんとご飯を食べなければいけないわけではない。無理して食べる方が体に悪い。個人差があるのだから自分にあった食べ方をして下さい」との忠告を受けた。
 それから僕は医者の忠告を受け入れ、嫁さんにも理解を得て体調に合わせて食事の量を調節するようにした。時には昼食を食べないという期間を設けたり、逆に深夜に軽く口に物を入れる日を作ったりした。一般的には不規則な食生活であって良くないことなのだろうが、現実的にこうすることで僕の胃腸は(時に激しい下痢に見舞われることはあったものの)基本的には穏やかな状態を保ち、かつ僕の体重もプラスマイナス5kgの範囲で増減を繰り返していた。

 ところが40代も半ばになった頃、それまでは食事の量を調節することでできていた体重のコントロールが思うようにできなくなってきた。特に冬場になると、いくら食事の量を減らしても体重がなかなか減らなくなってきた。下腹部の脂肪が目立ち始めたのもこの頃だ。おそらく新陳代謝力が加齢によって弱まってきたのだろう。
 最初にそれを意識した年の冬が終わった時、僕の体重は5Kg増えていた。それでも春になって気温が上がると暖かさゆえの新陳代謝力の向上があったのか、冬場に太った分はすぐに帳消しになり、更には夏場になって逆に体重が5Kg減った。
 それ以降、そういう年が続いたから冬場に太っても春から夏にかけて痩せるという意識が僕に根付いた。
 しかし僕の新陳代謝力は確実に落ち続けていた。50代になると冬場は変わらず太るものの「春から夏にかけて痩せる」という現象があまり起こらなくなり、そのまままた次の冬を迎えるというようなことが珍しくないようになってしまった。
 このような状況を「ヤバイかなあ」と思いつつも、ほとんど運動らしい運動をせず、一日絶食すれば、それなりに体重は減るということもあって、僕は特段真面目に対策を考えなかった。僕の頭にはやっぱり「冬場に太っても春から夏にかけて痩せる」という過去の成功体験のような記憶がしつこく残っていて、それに胡坐をかいていたのだ。
 真剣にまずいと思ったのは昨年の秋だ。例によってその前の冬に体重が増えてしまったのだが春が来て夏が過ぎ、もうすぐ冬だと思い始めた頃、久しぶりに体重計に乗ったら、自分史上最高の値が表示された。社会人になった時と比べて14Kgも多くなっていたのだ。
 さすがにこのままではまずいと思ったから、また食生活を見直した。この頃どういうわけか食欲が旺盛になっていて、毎回お腹が満腹になるまで食べていた。昼食によく食べるインスタントラーメンも、それまでは汁はほとんど残していたのに完全に飲み切ってしまうというような状況になっていた。明らかに欲望のままモノを口にしていたのだ。改めて下腹部を見てみると余計な脂肪が増えているのがよくわかった。
 ぼくは節制をした。このままだと本当に中年太りではなくて、ただのデブになってしまうと思ったから本当に節制をした。
「デブにだけは死んでもなりたくない」
 これは若い頃から僕にある信念の一つだ。ただでさえ禿げてきているのだ。これでデブになったらもうマジで絶望してしまう。
 できれば何か運動をしたいのだけれど、実は今は訳あって激しい運動ができない体なので、それ以外で何かいい手はないかと考えた。そしてその結果、一つの方法にたどり着いた。それが「ナイシトール」という薬の服用である。

 ナイシトールという薬のことは、テレビのコマーシャルで知った。それは、服めば下腹部などについている内脂肪を燃焼して落とすことができるというようなイメージのもので、ある売れっ子の男優さんがその製品名を声高に叫んでアピールしていた。
 僕はこれならいいかなと思った。体重を調節したいのはもちろんなのだけれど、それ以上に年々増えている下腹部周りの脂肪を落としたかった。それは経験的に毎日腹筋のような運動をしたりランニングをしたりすれば落ちていくものだと知っているのだが、それらをすることに関しては、あまり気が進まなかった。それによって内脂肪が減っても余計な筋肉が増えてしまいそうだからだ。
 僕は以前から余計な筋肉を増やしたくなかった。筋肉は鍛えることをやめるとすぐに脂肪になってしまう。これからどんどん老齢になる身だ。新たな筋肉を維持していくのはきっと厳しい。つまり僕にとって、今筋肉をつけることは将来の脂肪をつけることになるのだ。そうなってしまったら本末転倒ではないか。
 そもそもそういう運動を行うのが難しい状態だ。だから今の僕は、今ある筋肉は維持しつつ下腹部の余計な脂肪を落とすということを念頭に置かねばならない。そうなると、ここはやはりナイシトールという薬を試してみるのが良かろうと思った。

 近所の薬局に行き、ナイシトールを探した。
 あった。しかし高い! 336錠入りで約4000円!
 こんなにするのかと腰が引けた。今回は僕の個人的な欲求によるものだから購入費用は家計からは出ない。あくまでも自分のこづかいで買うのだ。4000円と言えば、自分の一ヶ月のこづかいを考えるとかなりの高額である。
 買うか? 諦めるか? ええい、買ってしまえ!

 ということで大枚4000円を出して「ナイシトールG」というものを購入し、服み始めることにした。
 一日二回、食前に何と5錠服めとなっている。
 一回5錠ということは一日二回だから一日で10錠。一瓶336錠だから約一ヶ月分ということか……。
 ここで自分のセコさが発生。
 この薬品は防風通聖散(ボウフウツウショウサン)という漢方薬なのだけれど、実は僕にはこれまでに漢方薬を服んだ経験があまりなかった。だからいきなりこういうものを5錠も服んで僕の胃腸は大丈夫なのだろうかと今更ながらに心配した。それに4000円もするものを毎月購入できるほど僕のこづかいは潤沢ではないということを考えると、現段階では効果の様子を見るという点においても、いきなり5錠ではなく、まずは3錠くらいから始めるのが良かろうという何の根拠もない自分の勝手な理屈が頭の中を占領した。
 僕はこの日から朝夕の食前にこの薬を3錠服むという生活を始めた。

 効果のほどは……?
 
 もうすぐ半月が経つが、今のところ下腹部の脂肪に大した変化は見られない。目立つことは、やたらと便意が来ることだ。それゆえ体重は増えないのだけれど、だからと言ってさほど減りもしない。個人的な感想を言えば「単に下痢に近い便意がよくやってくる。しかも困ったことに定期的にではなく突然不意にやってくる。本当に脂肪が減っているのか甚だ疑問……」というのが正直なところだ。
 とりあえず大枚4000円も出して購入したものだから使い切ってしまうつもりでいるが、このまま単に突発的な便意を誘発させるだけのものなら、もう買うことはないだろう。

 これからの2~3週間にナイシトールGの真価が問われる。頼むからせめて少しは体重減らしてくれよ、4000円も出したのだから……。
 果たして一瓶の錠剤を服み切った後、体重計に乗った僕は「ニャリ」と笑えるであろうか? Gパンがスルリと穿けるであろうか?。




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