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第79話 縁のこと(2)

2017/05/31 Wed 08:48
category - エッセイ
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 ところが実際は必ずしもそうではない。
 持っている人はいくつになっても持っているのだ。自分が大して何もしなくても周りが放っておかないのだ。じっとしていても縁が向こうからやってくる。もちろん自分から動けば、それが大きくて強い縁に変わっていく。持っている人はそういう機会がいくつになっても枯渇することがない。
 例えば義父がそうだ。
 今や86歳という御年だから世間との関りはかなり少なくなってはいるが、現役の頃の話を聞くと僕のような人間からしてみればびっくりするようなことばかりを経験している。しかもその中には昭和史に良くも悪くも名前を残している人物達と関ったことが少なからずあるものだから更に驚いてしまう。時々義父から聞かされる昔話などは、それをそのまま書けば立派なノンフィクション記事になると言っても過言ではないほどだ。こういう事というのは縁というものが強い人間ならではの事だと言っていいと思える。
 それに比べて僕はどうだ? 僕が世の中で起こった大きな出来事に関係したことなんてあったか?
 ない。
 どれだけ考えても思いつかない。
 あったとしても義父の100分の1、いや1000分の1にも満たないだろう。
 更には僕の娘や姪っ子たちだ。この子たちは今も現在進行形で多くの縁に出会い続けている。義父の場合は昔話が中心だが、この子たちの場合は今まさにリアルタイムに起こっている事象だからインパクトが強い。自分のこれまでの終始一貫した縁の薄さに嘆く僕からしてみれば、よくもまあそんなに多くの縁に出会えるものだと感心してしまうし、どうしてそんなに縁に恵まれるのか不思議に思いもしてしまう。

 いったい何が違うのだろうか? 何を持っているのだろうか? そして僕には何が足りなかったのだろうか?

 今も僕は縁のあまりの少なさに喘ぎ続けている。自分から欲しても叶わないことばかりだし、だからと言って「果報は寝て待て」の如くじっとしていたとしても何にも起こらない。ただただ時間だけが無意味に過ぎて行き日々を無為に過ごしているだけだ。何をしても響かないし向こう側から何らかのアクションがやってくることもない。
 それはまるで本流から淀みに入って身動きが取れないような感覚だ。目の前に多種多様な流れがあるのに、それに合流できないし、それが近づいてくることもない。「オマエにはそこがお似合いだ」と言わんばかりの様相だ。

 やはり「三つ子の魂百まで」なのか?
 それとも今の僕は、やっぱり薄い薄い縁の欠片のようなものを来るべき時のために貯め続けている状態なのだろうか。もしそうだとして、その「来るべき時」というのは、いったいいつ来るのだろうか?
 願わくばその「来るべき時」にだけは縁があって欲しい。でなければあまりにも自分が可哀想だと思ってしまう、少々疲れ気味の今日この頃の僕なのである。






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