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文亮[ぶんすけ]

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第22話 火花と騎士団長殺し(2)

2017/03/09 Thu 07:10
category - エッセイ
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◆2月24日に村上春樹の新作である「騎士団長殺し」が発売された。
 相変わらずどこかの有名書店では、その日の午前0時に発売ということで多くのハルキストと呼ばれる方たちが並んでいる様がニュース番組でも取り上げられていた。そしてやはりその映像の中に映っていた棚には「騎士団長殺し」の単行本が山積みされていた。
 午前0時直前になるとカウントダウンが始まる。前回の「1Q84」の時もそう思ったが、まるでアップルショップでiphoneの最新版が売り出される様を見ているようだ。いや人気ゲームの最新バージョンが売り出されるのと同じかな。
 あそこまでになるとハルキストたちの一種のお祭りなんだろうけど、僕みたいな村上春樹にあまり興味がない人間にとっては申し訳ないけれど、あの様は覚めた光景にしか見えない。場を盛り上げようとする光景を見せられれば見せられるほど、それに比例して「本当にあんなに売れるのかしら?」という気持ちが鮮明になってしまうのだ。

 村上春樹というネームバリューやこれまでの実績を考えれば、もはや「出せば間違いなく売れる」というレベルなのだろうけど、だからと言って今の状況がいつまでも続くとも思えない。そもそも誰が騒ぐのかよくわからないのだけれど、毎年のようにノーベル文学賞の候補として持ち上げられているが僕らはいつも、蓋を開けてみればその騒ぎに肩透かしを食らったような結果を知らされ、「ああ、またか」と「毎年のお約束事」のようにその状況を当たり前の事として受け入れているような様相になっている。「村上春樹の時代は終わった」と言う人もいる。特に又吉直樹が救世主の如く出版界に現れてからは、(個人的にであるが)その感が強くなったような気がする。
 もちろん村上春樹と又吉直樹を比べることには無理がある。実績で言うなら又吉直樹なんてまだ村上春樹の足元にも及ばないと思う。しかし色々な意味での期待度、特に出版系業者たちの現時点における彼に対する経済的、商業的期待度は尋常なものではないだろう。それこそ「夢よ、もう一度!」、「柳の下の二匹目のドジョウ」だ。そんな強い思いが世間を濃く彩っているからか、僕には村上春樹の影が何となくこれまでよりも薄くなっているように見えてしまう。

 僕の中にある村上春樹という存在を薄めさせてしまった又吉直樹の、第二作である「劇場」というタイトルの恋愛小説が3月7日火曜日発売の新潮4月号に掲載された。聞いたところによると「新潮」の発行部数は通常1万部前後だが今回は異例の4万部らしい。「火花」を掲載した「文学界」という同様の文芸雑誌が1933年に創刊されて以来、資料に残る範囲で初めて増刷したくらい売れたから、この度の「新潮」が取った対応は当然と言えば当然だろう。書店で働いている嫁さんは「うちみたいな街の小さい本屋だと『新潮』なんていつもなら取り置きなんてまずあり得ないのに、今回はもうけっこうな数の取り置きが入っているよ。たぶん最初は4万部出して、後は様子見て何回か重版かけるんちゃうかな」と言っている。素人である僕も、おそらく結構な部数が売れるんじゃないかって思うのだが、さてさて、果たして柳の下に二匹目のドジョウはいるのでありましょうや?

 世間はさて置き、肝心の僕はどうしよう。それを買うか? それともやめておくか?
 たぶん買っちゃうんだろうなあ。やっぱり中身が少々気になるからね。
 と言うのも普通の作家さんでも2作目、特に有名な賞を取った後の作品というのは注目されるものだ。又吉直樹なら尚更のことだろう。中身が悪ければ世間からの叩かれ方も半端なものではあるまい。下手をすれば「史上最大の一発屋」とでも言われかねないし持ち上げられたのと同量のバッシングを食らうかも知れない。だからやはり今回の作品に関する注目度は世間のみならず僕の中においても非常に高い。
 嫁さんに言って取り置きしておいてもらうとするかな……。


 ちなみに「火花」が映画化されるらしいが、僕にはこれが「苦役列車」の二の舞になるのではないかと思えて仕方がないのだが杞憂だろうか?


 村上春樹の新刊だが、嫁さんが勤めている書店での売れ行きは世間が騒いでいるほどのものではないらしい。
 それが現実なのかしら?

 実は僕は昔昔、村上春樹の大ファンだった。それは19歳の頃に読んだ「風の歌を聴け」に始まり、「ノルウェイの森」が出版された頃になると、それを含めてそれまでの村上春樹の作品はすべて読破し、更には他のライターが書いた村上春樹に関する本があればそれも必ず読む、というくらいだった。1987年頃だから僕がまだ20代中盤の頃、今から30年も前のことだ。
 当時は「ハルキスト」なんて言葉はなかった。いつの間にそんな言葉が生まれたのだろう。もし当時その言葉が存在していたら僕は間違いなく「ハルキスト」だった。あの頃は新作が発刊されると聞くや否や何を差し置いてでも手に入れ、そして貪るように読んだものだった。しかし「ノルウェイの森」の下巻を最後に、僕は村上春樹の小説を読まないようになった。興味もなくしてしまった。あれほどあった村上春樹関係の本は、今ではその名残を留めるかのように「ノルウェイの森」上下巻2冊が残っているだけだ。

 どうして興味が失せてしまったのか? 簡単に書けば以下の3つに尽きる。

・毎度毎度醸し出される主人公の「喪失感」や「孤独」にウンザリしてしまった。
・主人公のクールでドライな性格と孤高な人間性、そしてある種のオシャレな生活スタイルにあまりの現実離れ感を抱くようになり、しまいにはそれを受け入れられなくなった。
・メタファー、スポイル、モラリティ等等、普段あまり使うことのない言葉を多用する文体に違和感を感じるようになった。

 今の村上春樹の小説がどんなものになっているのか僕はよく知らない。あれから約30年という年月が経ったから、過去の小説を今読み返してみたら、もしかしたら当時とは違う思いになるかも知れない。更には「ノルウェイの森」以降に発表された小説を読めば、また新たな興味が湧いてくるかも知れない。あれほどの作家だし昔はその作品に傾倒していたのだから、読めば今のこんな僕でも何かを感じはするだろう。
 だが今はそういうことをするつもりは一切ない。ハルキストさん達には申し訳ないが、村上春樹の小説を読む時間があるのなら、僕は他の作家の小説が読みたい。そう、例えば片岡義男の小説をもう一度じっくりと読みたいと思う。




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