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文亮[ぶんすけ]

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第45話 Facebookへの道(2)

2017/04/11 Tue 07:10
category - エッセイ
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 改めて書こう。

 高校時代の女子たち……、君たちは何て可愛いのだ! そして何て美しいのだ! 

 僕はバカだった。あの頃、僕は君たちが持つその可愛さや美しさに気がつかなった。いや、正確には若干名の方々に対しては、それに気が付いたりしたが、実はもっともっとたくさんの女子たちが輝いていたのに僕はそれに気がつかなかったのだ。思えばそれらを見つける力が身についていなかったし、身に着けようともしなかった。今頃になってそれに気がつくだなんて本当にバカとしか言いようがない。
 できればあの頃に戻って現実としての君たちをきちんと見直してみたい。もちろんあの頃の僕に戻ってだ。そうすればきっとあの頃の日々がもっともっと光り輝くものになるだろうし、結果としての今ももっと違ったものになったかもしれない。
 だがもうすべては後の祭りだ。タイムマシンでも開発されない限り、そんなことはできるはずがない。いや、できたとしても、それをやってどうなるのだろう。今よりもましな結果が生まれるかも知れないが、きっとそれでもまた何十年か経ったら更に、より多くを望むことになるに違いない。そうなるともうきりがなくなって、とどのつまりは永遠にあの頃に生きることを欲するようになってしまう。それが果たして幸せなことなのか?
 そうでなくとも今こうやって今や未来よりも過去にすがるような気持ちになってしまうことがいいことなのか?
 どう考えるかは人それぞれだ。一般的にはもっと今や未来に向かって生きるべきだというのが主流だろうが、過去にすがって生きるのも未来に希望が持てなくなった現代人の一つの生き方だ。誰しもがそんなに強いわけではない。
 僕はどちらかと言うと後者だ。過去を愛おしく思うタイプだ。でも現実はしっかりと直視しなければいけないとも思うから今や未来のことも考える。だからあの頃の友人たちは今どうしているのだろうと思った。

 これまでに何度か同窓会といった催しがあったが、僕はまったくと言っていいほど参加しなかった。それはほとんどが表向きには「諸事情により都合が合わない」というのが理由だったのだけれど、「今更何十年も前のクラスメートに会って何がどうなるんだ?」という気持ちが強く、そこに更に面倒くさいという気持ちも加わっったものだから、そういった会合をないがしろにしてきたというのが実際のところだった。しかし、こうやってたまたま久しぶりに昔の文集やら卒業アルバムやらを見て、思いがけずそれまでは感じたことがなかった気持ちを見つけた。たぶんそれが僕に、あの頃の友人たちのその後を気にさせているのだろう。
 とは言え、あの頃のクラスメートたちが今どこにいるのか、僕は正直なところほとんど知らない。辛うじて同じ大学に行った何人かの友人とは今でも付き合いがあるが、それ以外はもうまったくわからないと言っていい。これまでずっと繋がりをないがしろにしてきたのだから当たり前と言えば当たり前のことなのだ。そんな状況でかつての友人たちの消息を知ろうと思うと、今ではもうあれをするしかないと思った。

 あれとは「Facebook」だ。

 数年前、僕はFacebookを大いに利用している友人から「お前も登録しろよ。懐かしい奴らとまた交流できるでぇ」と勧められたのだけれど、当時の僕はネットに本名をあからさまにすることに抵抗があったものだから、その申し出を断った。と言うのも僕の本名は姓も名も少々珍しく、おそらく同姓同名の人が存在しないであろうものなので、ネットに本名が出てしまうと親族はもちろん、知人や仕事先にも間違いなく一発で僕だとバレてしまう。更にはそれによって家族に何かしらの迷惑がかかるかも知れない。こういったことが僕はどうしても嫌だったのだ。
 しかしこの度はどういうわけか、こういうことが気にならなかった。あれから何年か経って、本名をあからさまにすることへの抵抗が薄れたからだろうが、それ以上に、既に娘がFacebookに登録していたということが大きい。自分が本名をネットに公開することで娘が何か危険な目にあったら大変と危惧していたのだけど、そんなことは僕の勝手な思いに過ぎなかった。娘はもう何年も前にFacebookに登録していて幼馴染み、クラスメート、いとこ、同僚はもちろん、好きなアーティストのコンサートで知り合った人たちとも交流している。
 現代は、そういう時代なのだ。個人的には手放しで喜ぶことではないと思うのだけれど、もうこういったSNSを使うことが前提になりつつある世の中であることを僕は今になって認めざるを得ないと思ったのだ。

 僕は自分でも信じられないくらい、あっさりとFacebookへの登録を行った。さほど詳しい情報は登録しなかったが、かつて僕という人間と知り合ったことがある人ならば、僕のページを一目見れば、すぐに僕だとわかるだろう。
 登録後、僕にFacebookへの登録を勧めた例の友人を探した。するとすぐに結果に出たものだから彼のページを見させてもらった。彼の「友達」の中に共通の知人を何人か見つけた。その中には今の姿を公開している人がいた。故郷を離れ、今は遠くで暮らしている人もいた。皆既にそれぞれの道を遠く遠く歩んでいるし、大きさの違いはあれど自分たちの世界を構築しているようだ。きっと皆、少なくとも僕よりはまともな人生を歩んでいて、僕みたいに過去に後ろ髪を引かれたりはしていないのだろう。そう思うとこれはまた僕に一つの「隣の芝生は青い」観を与える代物だったのかもと思ったのだが、ここはそういったマイナス面は無視することとして、これからいくつかのプラス面が現れてくるものと思うことにしよう。なあに、Facebookに登録したことで僕が失うものなんて何もないのだ。

 それにしてもFacebookというのは設定がややこしい。今までブログ、Twitter、LINE、mixi等々、色んなものに手を出してきたが、その中でFacebookが一番操作がしづらい……。学校や過去に住んだところなどを登録すると、日付が入力した日付と微妙にズレたりするものだから削除して再入力するってことを何度かやっていたら、いきなり一部機能がブロック云々というメッセージが出て保存できなくなった……。
 どういうことだ? Facebook初心者の僕にはまだまだ解明できていないことでいっぱいだ。これでは先が思いやられる。

 さてさて、僕はこのFacebookとやらを使って過去の人たちと再び交流することができるのでありましょうや?




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