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文亮[ぶんすけ]

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第46話 劣等感

2017/04/12 Wed 07:10
category - エッセイ
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◆Facebookに登録し、その中にかつて自分と交流のあった人達を見つけ出して、現在どのように過ごされているのかを知った時、それが自分にとってプラス面に働くのか……。

 前回のエッセイ(第45話 Facebookへの道(2))にて僕は
「きっと皆、少なくとも僕よりはまともな人生を歩んでいて、僕みたいに過去に後ろ髪を引かれたりはしていないのだろう。そう思うとこれはまた僕に一つの『隣の芝生は青い』観を与える代物だったのかもと思ったのだが、ここはそういったマイナス面は無視することとして、これからいくつかのプラス面が現れてくるものと思うことにしよう。なあに、Facebookに登録したことで僕が失うものなんて何もないのだ」
と書いた。
 人生なんて人それぞれなのだし価値観だって人それぞれなのだから、成功しているか失敗しているかを計る一律の基準なんてものは、この世には存在しない。だから例えば昔の友人の現在の姿をFacebookをもとにして見つけ出し、それが大そう立派なものであったとしても、自分がそれより劣っているだとか自分は失敗した人間なのかも知れないなどと思う必要なんてこれっぽっちもない。
「隣の芝生は青い」のは確かだ。でもそれだけだ。そう見えるだけだ。こんなことで自分を卑下するなんてナンセンスの極みだ。だから「プラス面が現れてくるものと思うことにしよう」、「Facebookに登録したことで僕が失うものなんて何もない」と書いた。

 ところがそうはいかなかった。隣の芝生は僕が考えていた以上に青かった。青くて青くて、他に何の色もないくらいに青い。いや現実的な色調で書くとすれば。もう緑も緑、それはそれは強烈な真緑の世界と言っていい。しかもそこには目を開けていられないほどの輝きが放たれているものだから、見ているだけで僕はもう頭がクラクラして倒れそうになる。
 これが一人や二人ならまだ僕にも耐えられるのだけれど、三人、五人、十人……となってくるとダメだ。その莫大な緑の輝きに脳内が占領されてしまって、もう僕は立っていられず仰向けに倒れて後頭部をしこたま打ち、そして意識不明となる。しばらくして目が覚めると実は自分が真っ暗闇の世界にいて、そこで長い間何もせず、ただただ無為に生き続けていただけだったと気づくのだ。(センスの欠片もない比喩文だ、まったく……)
 更に困ったことに自分の胸に沸々と後悔の念が湧いてくるのだ。どうしてあんな職業に就いてしまったのかと。どうして若い頃にもっときちんと人生のことを考えなかったのかと。

 皆さん、すごいな。店長、社長、代表取締役、税理士、市議会議員、複数店舗のオーナー、有名企業の偉いさん、某超有名劇団の女優さん、医者、テニスのハイレベルインストラクター等々、どこに出ても恥ずかしくないものを纏っていらっしゃる。じゃあ僕のようなそんな、人に羨ましがられるようなものが皆無である人間は、どこかに出たら恥ずかしいのかと訊かれると、もちろんそういうことはない。こんな無駄な文章ばかりを書くことくらいしか能がない作家きどりのタダのオッサンでも堂々としていればいいと思うし、卑下する必要なんか全然ない。ただ彼らと僕には決定的に違うことがあるのだ。
 僕には彼らが持っているものがないのだ。それは名誉や富といった単純なものではない。もちろんそれらもそうなのだろうけれど、それとはまた別のもの……、うまく説明できないが自分を輝かせるもの、自分をいい方向に導くもの、本当に自分のためになるもの等等、そういった、僕が持っていないものを彼らは持っている。これはどうしょうもないくらいに歴然とした事実だ。
 更に彼らはプライベートでも充実した人生を送っているようだ。例えば昔は楽器なんて全然演奏できなかったのに、今では楽しく演っている奴がいる。ステージで歌っている奴がいれば、オシャレなバーの一角でドラムを叩いている奴もいる。かと思えば皆の応援を受けて有名マラソンを完走した奴もいたりする。多くの人と一緒にうどんを食べ歩くという集まりの長をやっているという奴もいる。もちろん彼らが今そういう状態にあるのは、それまでに人知れず努力をしたからだろう。でも同じように努力したからと言って皆が皆、その結果いい位置に立てるわけではない。僕だって相当の努力はしたつもりだ。でも結果は彼らの足元にも及ばない。彼等との歴然たる差は世の中が綺麗事では生きていけないこと如実に語っている。
 彼らは周りから放っておかれることがないのだ。隅に置けない。いつでも中心にいるのだ。
 それがこちとらはどうだ。毎日朝から終電間際まで働き詰め。休みに時間があったら寝てばかり。挙句の果ては使えなくなったらポイされる、代わりは他にいくらでもいる人間だ。自分から何かしなければ、いとも簡単に周りから忘れられてしまう。居ても居なくても大勢に影響を及ぼさない、そんなレベルの人間だ。きっと彼らと僕とでは生きている世界が違うのだろう。皮肉にもFacebookは僕にそれを教えてくれた。

 確かにFacebookに登録したことで僕が失うものなんて何もない。でもまさかこんな劣等感が与えられるだなんて思いもしなかった。
 情けないけど今の僕には昔の友人たちに合わせる顔がない。自分を卑下する気持ちは毛頭ないが、不甲斐の無さは隠しきれない。この劣等感は、おそらくしばらく続くであろう。




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