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第51話 ギター(2)

2017/04/18 Tue 07:10
category - エッセイ
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 高校生になると野球をしなくなったこともあってか、僕のギター熱は更なるものになった。フォークソングの弾き語りでは飽き足らず、それまでは聴くだけに専念していた洋曲、とりわけロックやハードロック系の音楽を演奏したいという欲が出てきた。

 エレキギターが欲しい! 

 当然のようにそう思うようになった。その中でもストラトキャスターが欲しくてたまらなかった。

 高ニの夏、僕はエレキギターを手に入れた。ストラトキャスターだ。もちろんフェンダー社が作った本物ではない。国内メーカーが作った安物のコピー製品だ。でもそれでも僕は嬉しかった。
 ただ残念なことにアンプを買うまでにお金が回らなかったから、おまけでつけてもらったヘッドフォンアンプでしか音を出せなかった。

(今も大事に残している、当時買ったエレキギターだ。)
20170418_第50話_ギター(2)_1

(Aria ProⅡST-400 STAGECASTERだ。 1979年に購入したから、38年ものである。但し今も音が出るかどうかは不明……)
20170418_第50話_ギター(2)_2

 僕はまた練習に明け暮れた。毎日学校から帰るとこのエレキギターを引っ張り出しては練習した。
 この頃僕はリッチー・ブラックモアやジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、エース・フューレー、ブライアン・メイ、エドワード・ヴァン・ヘイレン等々のギタリストが魅せる「早弾き」に憧れていた。それはフォークギターとは演法がまるっきり違うもので、コードを押さえるというようなレベルではなく、左手の指一本一本をそれぞれ素早く動かして、なおかつそれに合わせて右手で素早くピッキングするものだ。更にチョーキングやハンマリング、プリング、ミューティング等の技術の習得も不可欠だった。憧れの極みはハミングバードピッキングだ。それはエドワード・ヴァン・ヘイレンによって初めて極められたものだったと記憶しているが、初めてそれを見た時は衝撃的だった。自分もいつかあんなふうに弾けるようになりたいと思った。
 しかし僕は高三の頃、「早弾き」に挫折した。原因は僕の左手の指だ。
 僕の手の指は小学生の頃から野球をやっていたせいか少々左右に曲がっている。何度も突き指を経験しているからだろう指の曲がりもちょっと歪だ。特に左手の小指の曲がり方は尋常でないくらい内側に偏ってしまい、曲げると薬指の下に来てしまう。しかも曲げると小指にうまく力が込められなくなる。
 これはギターのフレットを押さえるには、特に一本一本を小指で押さえる必要性が出てくる早弾きには致命的であった。本来は小指で押さえるはずが、フレットに対して直角に指を当てられないから力を入れて押さえることができず、その結果まともな音が出せない。無理にやると指の骨格や関節に問題が出るのか痛みが走る。じゃあ小指の代わりに薬指や中指をと思ったが、それをやるとどうしても演奏にバランスが取れなくてチグハグしてしまう。けっこう自分でも頑張ってみたつもりであったが、僕の「早弾き」の技術は前述したプロのギタリストはおろか、そこらにいるアマチュアのギタリストレベルにも及ばなかった。悲しい事であったが「早弾き」に対する自分の限界を認めざるを得なかった。
 だがそれでも僕はギターを弾くことは止めなかった。「早弾き」がギターのすべてではないのだ。

 大学に入ると僕はあるサークルに入った。それは音楽はもちろんギターとは何の関係もない学術系のサークルだった。
 だが人生とは面白いものだ。そこで僕は何人かの、僕と同じようなことをしてきた人たちに出会った。そしてそれがきっかけで僕はそれまであまり聴いたことがなかった「関西フォーク」というものを聴くようになり、かつ今更ながらに吉田拓郎に傾倒し始め、彼らの歌をコピーしまくった。ハーモニカやブルースハープを吹き出したのもこの頃からだ。エレキギターはあまり弾かなくなったものの、白いフォークギターは毎日と言っていいくらい弾き続け、それは当時の僕の一部だったと言ってもいいくらいだった。プロのミュージシャンとして仕事ができたらと、ほんのり思ったこともあったが、それはやっぱり現実的ではなかった。ただ、このままずっとギターを弾き続けることができたら、それでいいと思った。

 社会人になっても僕は相変わらずギターを弾くことはやめなかった。でも社会人になると平日は毎日のように終電で家に帰り、休みの日は日頃の睡眠不足を解消するために惰眠を貪るというような生活になった。一人暮らしをしていたこともあって、炊事や掃除洗濯にも時間が取られるようにもなった。たまに休みに時間が空いても、ギターを弾くよりはバイクや車に乗ったり、同僚と酒を飲んだりすることの方が多くなった。周りにギターを趣味とする人も見受けられなかったこともあって、精神的な満足感を得ることがギターを弾くことだけでは得られにくくなってきたのだ。
 更に興味が向く方向も仕事に関することが主になってきた。IT系の仕事に携わりつつコンピューターというものが、より個人を対象とするものへとシフトし出すと、ますますその方面に傾倒した。数年も経つとギターを弾くのは一ヵ月に数回というレベルにまで減った。
 30を過ぎた頃に結婚をすると、更にギターを弾く機会は減った。すぐに子供が生まれて子育てモードに入るとギターを弾く機会は激減した。白いフォークギターも押入の中に弦が切れたまま放置された。
 しかし丁度その頃のことだった。仲の良い同僚が結婚することになり、彼の新居への引越しを手伝った時、「もう要らないから」と彼からフォークギターを譲り受けた。それは名前を聞いたこともないメーカーのものだったのだけれど、僕が持っていた白いフォークギターなんかよりも、よほどしっかりしていたものだったから有難く頂戴した。そしてそれからしばらくの間、僕は思い出したようにそのギターを弾いていた。やっぱりギターっていいなあと思った。
 ビートルズの「Black Bird」を完璧にマスターしたのもこの頃だ。僕はビートルズによってギターに目覚めさせられたのに、それまでに一曲としてビートルスの歌を完コピしたことがなかった。どういうわけかいつも適当にコード進行させて歌っていただけだった。
 だが「Black Bird」はそういうわけにはいかない。この歌はコードがあってないようなもので、演奏するには真剣にTAB譜を見なければならないのだ。
 僕は二週間ほどかけて空いている時間を見ては練習した。狭いマンションの中だったから嫁さんも、まだ小さかった娘もさぞかしうるさいと思っただろう。でもきちんと弾けるようになると嫁さんは僕が弾く「Black Bird」を黙って聴いていてくれていた。

 こうして一時はギターを弾くことを復活させた僕であったが、その後今の家に引越すとギターをまったく弾かなくなってしまった。せっかく一戸建てに引越して周りに気兼ねなくギターを弾くことができる環境になったのにだ。
 理由は詳しくは書けないが、ギターなんぞを悠長に弾いて楽しんでいる場合ではなくなってしまったからだ。本心ではたまには弾きたいと思ったのだけれど、周りの雰囲気は僕にそれを行わせるほどやさしくはなかった。「そんな暇があるのなら……!」と言われかねない状況は、それから約10年の間、僕をギターから遠ざけてしまった。

(次回「第52話 ギター(3)」に続く)






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