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文亮[ぶんすけ]

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第56話 車内アナウンス

2017/04/25 Tue 07:10
category - エッセイ
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◆詳細な日付は覚えていない。おそらくダイヤ改正があった3月の中頃からだろうと思うが、いつも利用しているローカル私鉄の車内アナウンスが変わった。

 僕がよく利用しているローカル私鉄はワンマンカーだ。大昔、確か僕が社会人になった頃までは車掌という役割の人が同乗していたが、僕が関東地方だの北陸地方だの、あっちこっちを彷徨っている間に機械化の波が更に押し寄せてきたのだろう、いつの間にか車掌はいなくなり、その役割は運転手が兼ねるようになってしまっていた。
 これはこのローカル私鉄に限った話ではない。今や車掌が存在せず運転手が一人で乗務をこなしているという電車は珍しくない。さすがに都会を走る電車は、その乗客の多さからまだまだ運転手と車掌の二人体制だろうが、田舎のローカル私鉄においてはワンマン運転率は高く、今後も益々その傾向が強くなると思う。
 そしてそれに合わせてだと思うが車内アナウンスも人が直接喋るのではなく予め録音されているものが流されるようになった。僕がいつも利用しているローカル私鉄もそうだ。女性もしくは男性の声で駅に近づくたびに毎度毎度同じアナウンスが流れてくる。それは滑舌が良い流暢なアナウンスだ。しかし、やはり無機質と言わざるを得ない。それに中にはどう聞いても「それはアクセントが違いすぎるで!」と思わずにいられないものもある。特に駅名はその傾向が強い。おそらく地の人間の発音やアクセントなりを考慮するよりも、他の地域の人が乗ることを考えて、あくまでも標準語感覚を前提とした平準を基本としているからだろう。
 しかし僕は個人的にはこれがあまりに画一的過ぎて好きではない。歪曲されているようで違和感をも感じる。極端なことを言えば、その地域の文化や風習みたいなものを否定されているような気がしないでもない。ここに住む人間の発声やアクセントこそが本物のはずなのに、それが嫌でも聞かされる間違った録音アナウンスの音に覆い被されてしまうから、どことなく違う場所にいるような気にもなってしまう。
 何でもそうだが、あまりに平準化が大手を振るとつまらなくなってしまうものだ。(だが気にしない人にとっては気にならないのだろう。個人的には少々悲しいのだけれど。)

 そんな最近の車内アナウンス事情に少々の憂いを感じている僕だったのだが、その憂いが少し大きくなる出来事があった。最初に書いたように、いつも利用しているローカル私鉄の車内アナウンスが変わったのだ。いや、正確に書くとすると車内アナウンスの録音内容が変わったのだ。
 何が変わったかと言うとアナウンスに英語が加わった。具体的には駅に到着する前にアナウンスされる「次はXXXXX(駅名)、XXXXX(駅名)に停まります」に続いて英語で「we will soon make a brief stop at XXXXX」というアナウンスがされるようになったのである。

 最初にこれを聞いた時、僕は懐かしいと思った。昔、仕事で年がら年中あっちこっちに出張していた頃、それはそのほとんどを新幹線の「ひかり」や「のぞみ」を利用していたのだけれど、その新幹線で毎回当たり前のように聞かされていたアナウンスと同じようなものだったからだ。

「We will soon make a brief stop at Kyoto.」
「We will soon make a brief stop at Nagoya.」
(この二つは定番だ。)

「We will soon make a brief stop at Shin-Yokohama.」
(列車によっては新横浜にも停まる。)

 当時このアナウンスを耳にするたびに「『駅に停まる』とは直訳的に表現すると『私たちは、もうすぐXX~XXで短い停止を作るでしょう』となるのだなあ」と漠然と思ったものだった。

 だがもう新幹線には今ではほとんど乗ることがない。最後に乗ったのは約5年ほど前で、それがまた当時約10年ぶりだったから、大雑把に言うと21世紀になってから、ほとんど乗ったことがない。たぶんこれからも何か劇的な変化でもない限り乗る機会はないだろう。だから推測なのだが、今なら品川という駅ができていて、その駅にも停車しているだろうから「We will soon make a brief stop at shinagawa.」というアナウンスもあるのだろうな。

 それにしてもこの歳になって地元のローカル私鉄で同じようなアナウンスを聞くとは思いもしていなかった。やはり国際化の波か? そんな波が今更ながらにこんな田舎にも押し寄せて来ているということか? 
 それなら英語だけでなく中国語や韓国語も必要だと思うのだけれど、今回はそこまで考えが及ばなかったのか? それとも予算の関係か?
 何にしろ個人的にはつまらない。何をやろうが、それはやっぱり平準化の下で行われているような気がするからだ。このままだと本当にどこに行っても画一的なものしか聞けなくなりそうではないか。
 昔昔、このローカル私鉄の車内アナウンスは本当に聞き取りにくかった。車掌がマイクを口に押し当てて早口で喋るのが当たり前だったし、スピーカーも今とは比べ物にならないくらいボロいものだったから、はっきり言って雑音80%、人の声(しかも早口でほとんど聞き取れない)20%というようなものだった。だが不思議なことに何を言っているかはきちんと把握できた。毎度毎度聞かされて耳がそれに慣れてしまっていたからだ。だからだろう頭の中には今でもあの雑音まみれの車内アナウンスがきちんと残っている。目を瞑って意識すればすぐにでも、あのアナウンスが頭の中に鮮明に流れてくる。もちろん英語のアナウンスなんて微塵もなく、すべて日本語のアナウンスで基本は標準語口調だったが、アクセントは地のアクセントそのものだったから何の違和感もない。本当に頭の中に蘇る度に懐かしさがこみ上がる。
 それを思うと僕には今の若い人たちが気の毒に思えたりもする。
 と言うのも今の若い人たちが僕らのような年頃になって思い出すのは、あの無機質で画一的なアナウンスであろうからだ。それはきっとどの鉄道でも似たりよったりのものだから、例えば自分たちが住む地域を走るローカル線特有のものという意識なんかは僕らの時よりもかなり薄いものになっているだろう。いやもう「特有のもの」というような意識すらなくなっているかも知れないし、逆に一緒じゃないと気持ち悪いっていう感覚になっているかも知れない。でもそれって面白いのだろうか?

 個人的な欲求なのだけれど、僕としては録音されたものでもいいから、その地域それぞれの発音なりアクセントなりをきちんと生かしたアナウンスを流してもらいたい。画一的なアナウンスはやっぱり面白くないんだよね。






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