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文亮[ぶんすけ]

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第61話 思い出すのは思い出せないことばかり(2)

2017/05/02 Tue 07:34
category - エッセイ
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 一つ目は大学入学の際に着用したブレザーとスラックスの行方だ。それは大昔、両親がネクタイ、シャツと共に大学の入学祝に買ってくれたものだ。
 最初は普通のスーツ(当時はスリーピースが流行していた)を買うつもりで知り合いの服屋と話が進んでいたのだが、当時社会人になりたての姉が「就職ではないのだから今の大学生で流行っているブレーザーにした方がいい」と進言したため最終的にそうなった。
 姉と行ったのか、それとも母親と行ったのか、それとも家族揃って行ったのか記憶があやふやなのだが、とにかく大阪は梅田にある「Mitsumine」という店に行った。僕も親もこの店のことなんて知らなかったから、おそらく姉が勧めたのだと思う。そしてその店で僕は大学の入学式に着ていく服を買った……、いや、買ってもらった。
 まずは「Mitsumine」ブランドのブレザー。これはネイビー色の服地に金ボタンのもの。エンブレムは付いていなかったけれど当時流行っていた「ハマトラ」というファッションを意識したものでフォーマルな場だけでなく、ボートネックシャツやヨットパーカー、マリンショップのロゴ入りのTシャツやトレーナー、デッキシューズなどを組み合わせることでラフな着こなしもできるというものだった。
 スラックスも同じく「Mitsumine」ブランドのもので、一応は入学式のためだったのでグレーのワンタック(だったと思う)を購入した。裾上げの際、店員さんに「股下86センチですが間違いございませんか?」と訊かれ、そんなの測ったことがなかったものだから答えに窮したことを覚えている。
 ネクタイはラルフローレンのものを選んだ、いや、姉に選んでもらった。
 シャツは「Hathaway」(ハサウェイ)というブランドの青っぽい色のボタンダウンのもの。
 総額で10万円くらいはしたんじゃないだろうか。
 当時僕はブランドのことなんてこれっぽっちも知らなかった。
「Mitsumine……、何それ?」
「ラルフローレン? ポロ? いやBORO(ボロ)なら知ってるけど……」
「何でもいいけど『ハマトラ』って何なの? 『ハマコウ』の親戚筋?」
 冗談抜きで当時の僕のファッションに対する知識なんてこんなレベルだった。服のブランドと言えば「Levi’s」「Lee」「Wlangler」と言ったジーパンのブランドくらいしか頭になかったし、更に言えば「アディダス」や「プーマ」、「ナイキ」等のスポーツブランドの方がより身近だった。だからか服に10万円近くもかかってしまったことにびっくりした。普通のスリーピーなら5~6万円で済むのにとも思った。だが周りは「スリーピーよりもこっちの方が断然いい!」と言うから僕は両親に申し訳ないと思いつつも、有難く買ってもらった。
 このブレザーなどは入学式はもちろん、当時所属した真面目な学術系サークルの公式活動(公的機関への訪問等)の際によく着用した。遊びにおいても着れるものだったが僕がこのブレザーで「ハマトラ」のような着こなしをしたことは結局一度もなかった。
 その後このブレザーなどは社会人になった後も27~8歳くらいまではよく着ていた。安物ではなくしっかりとした造りだったから型崩れすることもなかった。
 もちろん結婚した後も僕はこれらを大事に残しておいた。結婚して少々太りはしたものの着ようと思えば着ることができたからだ。それに娘が生まれた時、将来またハマトラのようなファッションが流行り(ファッションというものは間違いなく繰り返される!)、もしかしたら娘に(古着としてでも)着させることができるかも知れないとも思った。
 そんな思い入れのあったものだったのに、それらはラルフローレンのネクタイを除いて行方不明になってしまった。いくつかあるクローゼットの中を念入りに探したが見当たらない。嫁さんに訊いたが、嫁さんはそれの記憶すらない。自分がこれらを最後に見たのがいつだったかさえ記憶にない。捨ててしまったのか? いや、そんな記憶もない。まるで突然神隠しにでもあったように現物も記憶もなくなっているのだ。

 今思い出した。そう言えば20代の頃に中型バイクに乗っていた際によく着ていたあのレーシングジャケット……、あれもどこに行ったのだろう? 「KUSHITANI」(クシタニ)というブランドの当時2万5千円ほどで買ったもので、普通のお出かけの際にも違和感なく着れるものだった。だからバイクを手放した後も好んでよく着ていたものだったのだけれど、これも見当たらない。いったいどうしてしまったのだろう。まったく記憶がない……。

(次回「第62話 思い出すのは思い出せないことばかり(3)」に続く)





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