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第63話 思い出すのは思い出せないことばかり(4)

2017/05/09 Tue 08:44
category - エッセイ
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 大学受験が終わり、彼女と僕は別々の大学に行くことになった。東京の有名私大を目指していた彼女は残念ながらその大学には落ちてしまったのだけれど、関西でも一、二を争う有名私大に合格した。そこは僕が第一志望としていた大学だったのだけれど、僕はあっさり落ちてしまって第二志望の大学に行くことになった。
 彼女が進学する大学と僕が進学する大学は完全に反対方向だったから彼女と同じ電車に乗ることはない。それどころか利用する電車自体が乗換駅とかを含めてまったく接点がないから、これから先、通学途中や学校帰りに偶然会うなんてこともないのだ。
 もう会えないと思うと大学に合格した嬉しさと同じくらいの悲しみに僕は襲われた。

 最後に彼女と会ったのは、その年の丁度今くらい、確かG・Wの頃だ。グループ内で4月5月生まれの人の誕生会をしようということが決まった。皆それぞれの大学に進みはしたが、繋がり自体は、その頃はまだ切れていなかった。
 その日、一ヵ月ぶりに会った彼女は更に綺麗になっていた。浪人生から華やかな女子大生へと変貌していたのだ。でも僕は大学生になっても相変わらず垢抜けていなかった。ありきたりなジャケットにシャツ、そしてジーパンという浪人生と大して変わらない出で立ちだった。だからか彼女の姿が一層眩しく見えた。彼女はもう本当に僕の手の届かない所に行ってしまったのだと痛感した。
 最後に彼女の姿を見たのは、その誕生会が終わった後だった。誕生会が終わり僕は皆と次の店に行くことにしたのだが、彼女は時間の都合で帰らねばならなかった。店を出て最寄り駅へと歩いて行く彼女の後ろ姿、それが僕が見た彼女の最後の姿だった。
 その時僕は、もうこれで彼女には会えないのだと思った。理由はわからなかったけれど、なぜだかきっともう一生会うことはないのだろうと思った。そしてそれはその通りになった。

 あれほど好きだったのに、僕は一年と経たない内に彼女の顔を忘れてしまった。なぜ忘れてしまったのかを考えた時、他の仲間の写真はあったのに彼女の写真だけが一枚もなかったからだと僕は思った。
 でもそれだけが理由ではなかった。
 数年後、僕は気が付いた。写真がなくても顔を覚えている女の子は何人もいる。なのにどうして彼女の顔は忘れてしまったのか。
 それは、あの日の彼女の後ろ姿が僕の目に強烈に焼き付いてしまったからだ。もう一生会えないだろうって運命的に感じてしまったあの姿が心に刻まれてしまったから、だから僕は彼女の顔を忘れてしまったのだ。
 彼女は僕にとってちょうど「銀河鉄道999」に登場するメーテルという女性のような存在だったと思える。メーテルは青春の幻影、若者にしか見えない時の流れの中を旅する女だ。鉄郎が少年から大人になった時、メーテルは彼の元から永遠に去った。
 同じように僕にとって彼女は青春の幻影、19歳という大人になる前の僕だったから会えた女(ひと)。そしてもう二度と見ることができない、たとえどこかですれ違っても、わからずにすれ違ってしまう人。
 だから僕と彼女を繋ぐもの、それはもう宝物となったあのノートしかなかった。あのノートに書かれた「サンキュー」という文字、それだけが僕に彼女という幻影を辛うじて繋がせていた。
 僕はこのノートを大切に保存していた。大学時代のものも含めてプラスチックケースの中に大切にしまい込んでいたのだ。そして時折違う用事でこのケースを開けた時に、そのノートを見つけては懐かしさと共にその中にある、あの「サンキュー」という文字を眺めていたのだった。

 しかし、そのノートはどこかに行ってしまったのだ。間違えて捨ててしまったのか。いやそんなことなどするはずがない。では最後にあのノートを見たのはいつだったか? それも記憶にない。どこかに紛れてしまったのか? わからない。どこをどう探しても見つからない。どうしてしまったのか、悲しいことに今の僕にはさっぱりわからない。記憶さえもないということが、これほど悲しいものだとは思いもしなかった。過去に自分がこうしたから、ああしたから、といった経緯があって、それがわかっていれば気持ちは落ち着くが、わからないということは更なる混沌の中に僕を引きずりこんでいく。

 これから先、こういうことがどんどん起こるだろう。何かのきっかけで忘れていたことを突然思い出す機会は歳を取る度に減っていくであろうがゼロにはならない。しかし困ったことに完全に思い出す可能性はどんどんゼロに向かって行く。「思い出しても断片的」というケースで終わってしまうのだ。つまり思い出すのは「思い出せないこと」ばかりになると思えるのだ。
 思い出や物にすがって生きようとは思わない。でもその記憶がなくなるのは僕にとっては耐え難い悲しみだ。とは言え人間はそうやって大事な記憶を失っていく。そのすべて失った時、生を終えるのかも知れない。






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